じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 日曜日の夜、岡大・ピーチユニオンのイルミネーションを観に行った。毎年この時期に行われているがデザインは異なっている。今年は建物正面のイルミネーションが豪華になっているほか、西の空の金星とのコラボが魅力。12月3日に記したように、金星は8年周期で、同じ日にほぼ同じ位置に見えるので、次回は8年後となる。(2017年12月は明け方低い位置。高さや方位は異なるが、宵の明星として見える年は8年以内にも何度かあるだろう。)

 なお、2006年から2011年までのアルバムはこちらにあり。2012年から2015年の写真も、この日記または楽天版に掲載している。

2016年12月18日(日)



【思ったこと】
161218(日)関係反応についての講義メモ(32)長谷川の考え(6)

 12月16日の続き。すでに述べてきたように、「同じ」には少なくとも
  1. ある物体や出来事が、一定期間、ほとんど変化しない状態で存在し続けている時に、ある時点Aと別の時点Bでそれを観測し、AからBまで連続して観測を続けた場合でもそれらが変化しない状態を保ち続けていたはずだと確信すること。
  2. 形や物理的性質などは異なっているが、何らかの事情や約束に基づいて、同じように対処すること。
という2つの意味がある。

 このうち1.は、地球関係のもとでは、ある種の物質や現象は一定期間、それほど大きくは変化しないということを前提としている。もしあらゆるモノが時々刻々と変化しているような惑星上に降り立ったとしたら、「同じ」という概念は意味をなさない。もちろん、地球上でもあらゆる事物は変化しているが、変化がきわめて遅い場合は、対処のしかたを変える必要がないので、「同一」であるとして扱うことになる。いくつか例を挙げると、
  • 一人の人間は毎日少しずつ変化しているが、多重人格で無い限りは同一人物として扱う。朝起きた時に、自分の妻(あるいは夫)が全く別の人間に変身してしまっていたら夫婦生活は成り立たない。会社や学校の人間関係も同様。犯罪者を罰するというのも、犯罪時と裁判時の人物は同一であり、犯行後にどんなに反省しても人物自体は変わらないという前提に基づいている。
  • 活火山が噴火により大きく形を変えた場合でも、山自体は同じ名前で呼ぶことが多い。但し、噴火により新山が出現した時は、新たに名前をつけることがある。(雲仙普賢岳の平成新山や、有珠新山のように。)
  • 形自体は変化する場合でも、物理的・化学的性質が不変であれば同一として扱う場合もある。コップの水が凍った場合など。
 1.のタイプの「同じ」は、現実世界に何かが存在していると見なすことに大きく関わっている。時々刻々と変化しているモノでも、何らかの性質が安定していたり、特定の場所に留まっている時は、存在していると見なされるが、対処できる範囲は限られている。

 このほか、何らかの変化をし続ける対象も、「無」や「空」ではないという点で何らかの存在と見なされる場合もあれば、「無」や「空」も存在しているという哲学的議論もあるが、これらは定義上の言葉のアヤに過ぎないように思えないこともない。

 元の話題に戻るが、少なくとも「同じ」と見なされる存在については、一定の不変性が要求される。但し、どの部分の変化を許容するかというのは、人間の約束事にすぎず、絶対的なものではない。

 もう一つの2.は、少なくとも2つ以上のモノや出来事を比較する場合の便宜的な判断と言える。2つ以上が存在する以上は、1.の定義で必要条件となる連続性は前提とはされない。別々のモノを同じに扱ったほうが都合がよい場合、あるいは、簡潔に説明できるような場合がこれにあてはまる。

次回に続く。