じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 9月6日(金)は、早朝のムンクの叫びのような朝焼けに続いて、日中も、いろいろな形の珍しい雲が見えた。写真は、午前11時頃、半田山上空に現れた細かい筋状の雲。クラゲのようにも、羽衣のようにも見える。


2013年09月06日(金)

【思ったこと】
130906(金)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(11)選択と後悔(5)後悔を減らす技法(2)

 昨日日記で、後悔を減らす技法として、とりあえず3つのタイプを想定した。
  1. 「後悔事象取り出し行動」と競合する種々の行動を強化することで、後悔事象取り出しの頻度を減らす。
  2. 後悔事象そのものを「中性化」つまり、ネガティブな情動反応を生じないようにしてしまう。
  3. 後悔事象に関わる物語のうち、自己関与の部分を書き換えてしまう。

 これらをこの連載のテーマである高齢者の選択に当てはめてみる必要があるが、現実にはケースバイケースで、一般性のある技法を見つけることは難しいようにも思う。

 まず1.であるが、一般的に高齢者の場合は、若い時に比べると活動範囲が狭くなり、身体的・精神的機能の衰えから行動が強化される機会が少なくなると予想される。当然、「後悔事象取り出し行動」と競合する種々の行動が強化される機会も減ってしまう。お年寄りで愚痴がおこりやすいのは、1つには、愚痴をこぼす行動と競合する行動が充分に強化されていないためと考えられる。

 次に2.であるが、例えば施設に入居し、ふだんお金を使わなくても生活できるようになると、お金の損得にはこだわらなくなるはずである。しかし認知症高齢者の場合、所持金にこだわるばかりか、物盗られ妄想が起こりがちとなる。お金のもつ習得性好子としての機能はそう簡単には消去されないのかもしれない。

 5年ほど前に、百寿者の話題を取り上げたことがあったが、well-beingのパラドクスと呼ばれているような現象は、あるいは、上記2.が、百寿者になる過程の中で自然に形成され、望ましい効果をもたらしたためとも考えられる。

 もう1つの3.に関しては、以前、TEDで学ぶ心理学の一環として取り上げたように、高齢になった段階での関係性の再構築を重視するという主張もある。

Jane Fonda: Life's third act.(2011年11月)

 もっとも、認知症高齢者では、現実と過去が混在し、いま現在の状況とは異なる物語が勝手に作られ固定されてしまう場合もある。

 なお、3.について補足しておくが、過去の断片的な事実をつなぎ合わせて作る物語は、一般の小説と同じで、かなりの自由度を持って書き換えることはできる。しかし、物語を書き換えただけで、はいそうでしたね、というわけにはいかない。これは、ルール支配行動において、ルールを明示するというだけではルールを守る行動を実践できないのと同様である。ではどうすれば、物語の書き換えに対応して後悔を減らすことができるか。これはまさに、心理療法の出番であり、物語を書き換えて実践する力を与えられるかどうかが、その心理療法の存在意義にかかっているとも言えよう。いくつか挙げてみると、

 1つは、その人が過去に採用していた「物語(信念)」の不合理性を粉砕し、新たな物語を構成させることである。いわゆる論理療法はこの方法を体系化・発展させたものと思われる。

 2番目の方法は、生活全般において、書き換えられた物語を採用することが強化されるような環境を作ることである。これには心理療法よりは宗教のほうが有効。ある物語を採用し実践することが、宗教団体や身近な信者たちによって強化されていくのである。例えば、自分の不注意が原因で子どもを失った人の後悔はなかなか消すことはできない。個人的に「その子の死は神の御心によるものだ」というように物語を書き換えても、そう簡単には採用できないが、同じような書き換えを信仰している組織に入り、教祖や信者同士の励ましによって強化されていけば、「救われる」ことになるだろう。

 3番目の方法は、批判的思考の力をやしなうことで、過去の断片的な事実からは多種多様な物語の構成が可能であるということを実感し、いま自分が持っている物語はその1つに過ぎずゼッタイではないと達観することである。老荘思想はこれに近いかもしれない。2番目が強固な1種類の物語を採用することで後悔の低減をはかるのにたいして、3番目の方法は、物語を作ること自体から脱し、「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という態度でのぞむことではないかと思っている。


次回に続く。