HB彗星日記

1997年4月

新しい情報を上のほうに書き加えていきます。ただし、同一日に、朝と夕の2回、見物した場合には、夕方の記事を朝の記事の下に書き加えます。
文章中、同じ大きさの文字でリンクされている所をクリックすると画像が表示されます。
大きめの文字でリンクされている所をクリックすると、複数の写真と説明、その日の記事が表示されます。
なお、写真は、カラープリントをもとにしているため、DPEの関係上、数日以上遅れて掲載されます。
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4月30日(水)
朝から雨模様の天気だった。大学の実験室近くの花壇に、冬越しさせたヘリオトロープ、マダガスカルジャスミン、ランタナなどを植える。昼過ぎから雨足が強くなり、植え替えには最適であった。
今朝の天気予報では、確か、1800頃から晴れるという予想であったが、その後、明日の朝まで曇りとの予報に変わった。訂正後の予報どおり、彗星が沈むまでの間に、晴れ間は現れなかった。
夜半過ぎ、ベランダから外を見上げると、下弦の月と木星が接近して輝いていた。


4月29日(火):2005-2030
早朝は霧が出ていたが、そのあとよく晴れ上がって快晴になった。
早朝に大学構内を散歩する。今日は祝日で、事務局の玄関には、日の丸が掲げられていた。こういう景色を見たときに、“あれ?”と思うのは、私のような古い世代だけなのだろうか。私が学生の頃は、ちょうど大学紛争が下火になりつつある時期だったが、少なくとも大学構内に日の丸などを掲げたら、過激派によって直ちに引きずりおろされるのは必至であった。いまの時代では、制服警官が構内に入ってきたとしても、それほど奇異には感じないだろう。むしろ、私が学生の頃には日常風景となっていた、ヘルメットをかぶった過激派の姿のほうがよっぽど奇異だ。半年ほど前だったか、中核派(大半は30代に見えた)10人程度が、学生会館の前でヘルメットをかぶってビラをまいていたが、一瞬、仮装行列でもやっているのではないかと錯覚したほどである。
事務局の近くには、大きな赤いツツジがある。前日の雨で半分ぐらい花が落ちてしまったが、まだまだ見頃であった。
事務局の北側には、通称、“東西通り”がある。両側にキャンパスがあり、“岡大東門”、“岡大西門”、“福居入口”、“福居”という4つのバス停が、いずれもキャンパス(農場を含む)に接している。岡大キャンパスが広いといわれるゆえんである。この東西通りには、濃いピンク、薄いピンク、白などのハナミズキが植えられていて、毎年4月下旬にきれいな花を咲かせる。ただ、これを写真に撮っても、目で見たような色がなかなか出ない。たいがいは茶色系の目立たない色になってしまう。たぶんフィルターをつければ、うまく撮れるのであろうが、詳しいことはわからない。ここに掲載したものも、実は、スキャナ読み込みの時に多少、色合いや濃度の設定変更をしてあるが、目で見たような色はどうしても再現できなかった。
午前中は、大学の研究室。午後は、家族全員で吉備路にサイクリング。自宅アパートのすぐ近くから自転車専用道路が延びており、備中国分寺まで17kmの行程だ。市街地を抜けると、ところどころにレンゲ畑、青空高くヒバリがさえずり、田園風景を満喫した。昨日のテレビで報じられていたが、じつは、このレンゲ畑が、外国から入り込んだ害虫(アルファルファタコゾウムシ)に食い荒らされているという。花まで食い尽くしてしまうため、養蜂業者がたいへんな打撃を受けているという。
片道17kmの行程は、子供たちにはかなりきつい。それでも、何とか、目的地にたどりつき、レンゲを集めたり、鐘をついたりして達成感を味わった。片道17kmというと、ちょうど、いつも彗星を見にいく場所と同じぐらいの距離である。いつもは車を利用しているので“大した距離ではない”と考えてしまうが、自転車のペダルをこぎながら1時間以上かけて向かうことで、その“遠さ”が体感できた。そういえば、こんどの彗星の直径も、きょうのサイクリングの片道から往復程度の大きさだったと記憶している。周りのガスのモヤモヤが桁外れに大きいので、木星なみの大きさであるように錯覚してしまうが、本当はサイクリングで一周できるほどのミニサイズなのだ。
1945頃、車で、いつもの龍王塚古墳に向かう。春霞の影響か、あまりよい条件ではなかった。

[Image]2011撮影。50mm。28秒。岡山空港北西の龍王塚古墳前にて。 帰りがけに、岡山空港北側の山の裏手、地図で見ると石妻という近くの、路側帯の公園に行ってみた。先日藤ヶ鳴フルーツパークを訪ねた帰りに、候補地として目をつけておいたところである。やはり、同じようなことを考える人がいたようで、先客が望遠鏡とカメラを構えていた。他に、地元のおばさん連中が、弁当持参で彗星見物をしていた。空港の灯りが遮られている分だけ空が暗くなっているが、反面、谷間の民家の灯りの影響もあるので、条件としては龍王塚と同じぐらいであろう。

[Image]2025撮影。50mm。28秒。岡山空港北側の山の裏手の路側帯公園にて。上は、ぎょしゃ座の大五角形。

4月28日(月)
きょうは朝から雨。娘の遠足が中止になった。
大学構内のイチョウの緑が美しくなってきた。雨が降って始めて気づいたことだが、イチョウの株のまわりには、黄緑色の小さな花のようなものがたくさん落ちている。全く落ちていない株も半分ぐらいあるので、これはきっと、オス株の雄花だろう。
夕方になってようやく雨は止んだが、2100頃までは、結局、晴れ間は見えなかった。
明日は、町内一帯で、大型ゴミの回収をやるらしい。アパートのゴミ置き場に、机やタンス、自転車など、たくさんの不要品が積まれていた。これを目当てに、リサイクル関連業者と思われる人たちが、入れ替わり立ち替わり、使えそうな物を取りにくる。これを生計の足しにしているらしく、真剣な目つきだ。近所の人々も、多少人目を気にしながら、欲しい物を持ち去っていく。バイクや軽トラの出入りは、明け方まで続いた(私も、使えそうな自転車1台と、キャンプ用の折りたたみテーブルを拾ったが、妻に怒られた)。


4月27日(日)
午前中は、大学の研究室で仕事。午後2時すぎから、藤ヶ鳴フルーツパークへ。実は、きのうレスパール藤ヶ鳴に行った時に水着と下着を入れた袋を置き忘れてきてしまい、引き取りを兼ねて、空港北側にあるフルーツパークを訪れることにしたのである。
フルーツパークを訪れたのは、3年以上まえだったように記憶している。ここには、岡山空港北東側の小高い山の頂上一帯に位置し、マスカット温室のほか、アスレチック施設とトリム迷路などがある。アスレチック施設のほうは、だいぶ老朽化しており、丸太が朽ちて折れていたり、ロープが切れていたりしていた。連休初日の日曜日にもかかわらず、駐車場には未だかなりのスペースがあり、これで経営が成り立っているのか心配になった。
トリム迷路というのは、実際はオリエンテーリングのように、谷間の山道を歩き回りながら「ふ」、「じ」、「が」、「な」、「る」といった文字の書かれた標識を探索するゲームである。こちらも、数年前と同じで、改修などはされていなかった。新緑のなかで気持ちのよいひとときを過ごした。特に、ウラジロかコシダか分からないが、枝分かれした背の高いシダに新芽がついていて、羽根を広げた白鳥のような姿で並んでいるのが面白かった。帰り際、松の皮をつつき回っているコゲラを目撃した。
夕刻、昨日に引き続いてレスパール藤ヶ鳴へ。これは、もちろん、昨日置き忘れた水着や下着を引き取りに行くことが主目的である。2日連続で温泉三昧というと贅沢に思われるが、この温泉は、6月末までは、17時以降の女性の同伴者は無料になっており、しかも回数券を使用しているので、4人で2000円ぐらいしかかからない。1900すぎに西空に晴れ間が現れた時もあったが、その後は薄雲が広がり、温水プールからの彗星見物の再現は、ならなかった。2030頃、大学の研究室に戻るが、完全に曇っていて星ひとつ見えず。


4月26日(土):1950-2015

家族全員で彗星を見送る



4月25日(金)
降雨確率10%という予報だったが、午後になって黒い雲が空を覆い雨が降った。布団を干しっぱなしにしていた家もあったようで、お気の毒だ。
1800すぎから、教室の新2回生歓迎のコンパ。2050頃に戻った時には、雨も止んで晴れていた。カペラは、よく見えていた。昨日の位置から推測すると、半田山稜線すれすれに見えているはずであったが、彗星は位置すら確認できなかった。たぶん、雨上がりの霧のせいではないかと思う。


4月24日(木):2023、2040頃
この季節にはめずらしい冬型となり、雪雲が北西方向から押し寄せていた。19時すぎより、アパートの5階の階段から、たびたび外を見るが、薄雲がなかなかとれない。2023頃、何とか位置を確認。2040頃には、もう少し晴れて、多少、尾が見えるようになったが、弱々しく、写真に写るほどの明るさは、なかった。
これからは、日毎に、条件が悪くなる。少々大げさに言えば、老化現象が進む私自身と同じようなものだ(私はまだ40台半ばであるが、記憶力は相当に衰えたことは確かだし、若い頃のように、海外の5000m級の山への挑戦することはもはやできないし、最近では国内の単独登山も自信がない。)
老化が進むということは、物理的には、昨年できたことが今年はできない、というように行動のリパートリーが少しずつ狭められることを意味している。彗星の場合も、先週は見えていた長い尾が、今週は半分になった、というようにだんだんと明るさが衰えていく。
3月の終わりに、明け方の彗星で同じことが起こった。しかし、あの時は、夕方にはもっとよく見えるようになるとの期待感が同時にあった。4月中旬も、月明かりがなくなればもう一度雄姿が見られるとのなぐさめがあった。しかし、これから先は、明るさといい、尾の長さといい、高度といい、なにひとつ好転するものは、ない。
衰える姿を眺めることが空しいとするならば、老化していく私自身も空しいことになる。では、空しくならないためには、どうすればよいのか? 1つは、4月16日に述べたように、彗星の光の衰えは、実際にはダストの吹き出しが減って核の損失が少なくなるということであるから、むしろ“回復中”の姿を眺めているのだ、と納得する方法。もう一つは、最盛期の時に眺めた思い出と重ね合わせながら、懐かしむ方法である。老化現象に対応させれば、前者は、“老化で体力は衰えたが、精神は最高の状態に達している”と納得する方法、後者は、若い頃の思い出を懐かしむ生き方であろう。これら2つ以外に、ヤマギシズム風(?)に、事実を事実のままに受け入れるという対処法もある。
こんなぐあいに、彗星の見送り方と重ね合わせながら、老化に伴う生き甲斐問題を考えてみようかと思う。

4月23日(水):1930-2020
朝5時20分すぎに起きてテレビのスイッチを入れたら、ペルーの日本大使公邸への強行突入が始まったばかりの映像が映し出された。見ている最中は、あまりの生々しさに、これが現実なのか、何かの映画を見ているのか、ちぐはぐな気持ちで、現実感がなかったが、昼過ぎのニュースなどを見ているうちに、何かやるせない気持ちがつのってきた。日本人の人質全員が救出されたのはめでたいことだが、人質と特殊部隊に3人の犠牲者が出たし、いくら悪者とは言っても、武装グループ14人全員が射殺されたというのはショッキングな出来事だ。あの武装グループの中には、まだあどけなさの残る若い女性も、いたように記憶している。あの生中継を見ている最中に17人もの命が失われたとは。
同じ日の朝、ベランダに布団を干していたら、ピーピーという鳴き声が聞こえた。4月に入ってからスズメがよく来ているなあ、と思っていたところだったが、なんと、妻がリース作り用に物干しにつり下げておいた藤蔓の中に巣を作っており、いつの間にか、雛がかえっていたのであった。このアパートでは、糞害のあるハトは禁物だが、スズメならよかろうと、そっとしておくことにした。こちらは、新しい生命の誕生だ。
天気の方は、4月になってから最高の透明度となった。夕食後、久しぶりに、岡山空港北西側の龍王塚古墳まで車を飛ばす。家族も誘ったが“彗星かあ。まだ見えるのかあ。しつこいなあ。(息子談)”と言うばかりで、同行者は、いなかった。
1925頃到着。この時間でも、まだまだ薄明が残っていた。いっぽう、空港の向こう側には大きな満月が見える。薄明が終わって暗くなりかけたと思ったら、たちまち月明かりで明るくなってきた。これ以上空が暗くなることはあるまいと思い、さっそく2-3枚の写真を撮る。今日は、平日のせいか、あるいは満月のせいか、他には誰も来ていなかった。双眼鏡で見ると、尾が湾曲して太くなっているのがわかる。尾が横に広がった分だけ、肉眼でも尾が目立ちやすくなったような気がする。中心部分の光の密度を比較する限りではカペラのほうが明るいが、核全体の光度は、まだまだ彗星のほうが明るいように見えた。
しばらく眺めていた。きょうの彗星は、いやに明るい。私は一貫して無神論だが、ペルーの強行突入で犠牲となった人質や兵士、それに14人の犯人たちが、みんな、お互いを許し合って、手をとりあいながら、この彗星に乗って遠い世界に旅立っていくような気持ちになってきた。

[Image]1944撮影。50mm。28秒。岡山空港北西の龍王塚古墳前にて。画面左下が牡牛座、真ん中いちばん下がプレアデス。

2015頃、大学の研究室に戻る。5階のテラスから2枚だけ撮影。今日は、ここからでも明るく見えた。
2123頃、自宅アパートの5階の階段から見る。さすがに、高度が低くなると見えにくくなる。位置を確認するのが、やっとだった。

4月22日(火)
今日も朝から小雨。昼にいったん止んだものの、夕刻には、また雨。どうせ晴れても月明かりが避けられないので、むしろ、この2、3日のうちに“降りだめ”しておいてもらったほうが好都合である。
夕刻、アパートの周りでたくさんのコウモリが飛んでいた。ざっと数えて30頭以上、確か、キクガシラコウモリだったと思う。この黒い動物がコウモリであることに気づいたのは、去年の今頃だった。それ以前にも飛んでいたと思うが、ツバメだろうと思いこんでいて気にもとめなかった。それはそれとして、大学近辺では、去年より大量に増えているように思えてならない。


4月21日(月)
低気圧の接近で、全く晴れる気配はなかった。19、20日は、岡山では、まあまあの晴天だったが、全国的には、必ずしもよくなかったようだ。晴れた地域で観測をしている人のサイトには、綺麗な写真が掲載されていた。全体として、ダストテイルの湾曲が目立ってきている反面、イオンテイルはだいぶ見えにくくなっているとの印象を受けた。


4月20日(日):1945-2040
昨日ほどではなかったが、まあまあの晴天だった。昼間、タケノコ掘りに行ったため、精神的にも体力的にも遠出をするゆとりはなく、大学からごく近い所で彗星を見ることにした。
まず、事務局本部に行ってみると、正面に向かって建物の左半分が真っ暗になっていた。これならと、建物を前景に2-3枚撮影する。

[Image]1949撮影。50mm。28秒。岡山大学事務局を前景に。この建物は、土日でも灯りがついていることが多く、今回、初めて撮影することができた。


昼間の景色をみたい方は、こちら(4月29日朝、撮影)
そのあと、百間川の土手(百間川が旭川から分流する起点に近いところの空き地)で、菜の花(正式には“セイヨウカラシナ”というらしい)の花を前景に、何枚か撮影する。

[Image]2014撮影。50mm。絞り4、距離30m、28秒露光。ストロボ使用。百間川の土手で、カラシナを前景に。

最後に、文学部に戻って5階のベランダから、その日最後の撮影をする。
昨日遠出して撮影した国分寺の写真のプリントが、まあまあの出来で仕上がった。今日は、前から考えていた、事務局本部と百間川の菜の花の写真を撮ることができ、何から何までうまくいった感じだ。これで、何かを前景に入れた写真撮影は、ほぼ取り尽くした感じだ。今度は人物でも、と思ったが、モデルがいない(妻には断られたし、娘は彗星嫌いになってしまった)。暖かくなったので、ハムスターでも外に出して撮ることにしようか.....それとも、研究室内で育てているアレカヤシを出して、南国風の風景を作ってみるか......まあ、そういうテーマは無理のない程度にチャレンジすることにして、あとは、自分の目で彗星を眺めて楽しむ、本来の彗星見物に戻ることにしよう。

4月19日(土):1930-2100

吉備路の備中国分寺五重塔


ロスのNさんからの久しぶりの報告です(時刻は現地時間)。
きょうも,(4/18)20:30〜20:00 まで観測しました。
彗星,とうとう逆立ちしましたね。月の光も増して,明るいんですが,よく見えます。満月にも見れますね,この調子だと。
尾の中に入って輝いてる星も,いいですね。それくらい長く尾が,伸びています。夕食のあと 彗星見るのが日課になっています。
彗星もですが,地球大接近の火星も あかるく輝いてますね。
ロスの夜空は,星の満開です。毎日晴れているのが,大助かりです。


4月18日(金)
黄砂現象なのか、単なる春霞なのか、わからないが、昼間から、まるで日食の時のように、日射しが弱々しかった。その一方で、山は一面新緑で空よりまぶしく感じられた。
夕食後、こんなもやもやの天気の時でも何か1つぐらい、よいことがあるのではないか、とベランダから外を見ると、あったあった。航空管制用か何かのライトが天頂方向を照らし、光の柱を作っていたのである。空が霞んでいてもそれなりの楽しみ方はあるようで、まるでオーロラのように美しかった。
この“光の柱”をしばらく眺めていたが、灯台のように回転しながら照らしているのではなくて、誰かが手動で空を照らしているような、不規則な動きをしていた。また、突然消えたり、同じ方向をずっと照らしたりしている。正体は不明だが、運動公園の南の端あたりに光源があるように見えた。いったい何なんだろう?

アパートのベランダから見た“光の柱”(2000頃、50mm。約10秒露出。)

いっぽう、天頂付近には、月が、まるで彗星の核付近の拡大画像のように、ぼんやりと光っていた。もし、あんなに大きな彗星が来たら、さぞ不気味であろうと思った。


4月17日(木):1950-2010
昨晩と比べていくらか透明度がよさそうだったので、思い切って吉備路の備中国分寺(山手村)まで行ってみた。距離的には、岡山空港よりちょっと遠い程度であるが、岡山ICから総社ICまで高速道路を使うとほんの20分で到着できる。じっさい、ラジオの英会話が始まった頃にアパートを出て、終わる頃(20分後)には、もう目的地に着いていた。
時間は短いが、高速を使うと片道で400円払う。それでもし彗星が見えなかったらガッカリするところであったが、国分寺の五重塔を前景に、かすかながら姿を確認することができた。2枚ほど写真をとるが、あまり自信はない。

[Image]2002撮影。50mm。30秒。五重塔を前景に入れた写真。薄曇りのため、かろうじて撮ることができた。カラープリントをスキャナで強引に補正した写真。
このあたりは、いまレンゲと菜の花が美しいはずだ。毎年、春や秋に1度は訪れている(昨年秋の写真はここ)。南側の道路は車の通行がはげしいものの、国分寺一帯には撮影の妨げになるような照明はなく、3月下旬に訪れていたら、もっと迫力のある写真が撮れたかもしれない。
その後、仕事が残っていたので2030頃に大学に戻るが、大学構内からは彗星の位置すら確認することができなかった。ここ数日、晴れていながら彗星が見えないので困惑していたが、いちばんの原因は春霞にあるようだ。この日も、天頂に近いところにある月や火星は、はっきり見えていたものの、地平線に近い部分は、どの方向を見ても星らしきものは何も見えなかった。これからは、冬型か、雨後の雲間を狙わない限り、あの勇姿にはお目にかかれないのかもしれない。

4月16日(水)
定例の教授会のあと、親和会(文・法・経・三学部の教職員の親睦会)による新年度の懇親パーティがあり、岡山駅前のホテルへ。今日は天気がよかったので、これをサボって彗星見物に行こうかとも思ったが、“花より団子”でホテル行きを選ぶ。
二次会にも誘われたが丁重に断って、2000すぎにホテルを出る。駅前は東口だったため、北西方向の空は見えなかった。
2035頃、バスを降りて農場の中を歩く。特に雲は出ていないようで、半月のまわりに傘もかぶっていなかったが、彗星は姿形がない。全天で光っているものといえば、半月すぎの明るい月と、火星、カペラ、レグルス、アークトゥルスぐらいのものだった。春霞のせいなのか、たまたま彗星方向に薄雲がかかっていたせいなのか、判断できないが、天気予報で快晴の予報が出ているにもかかわらずこんな状態が続くようでは、これから、何回彗星が見られるのか不安になってきた。
いずれにせよ、もはや薄雲を突き破って、カペラを超える明るさで輝く力は、もはやないのかもしれない。これは彗星自体の衰えのようにも感じられるが、実際にはダストの吹き出しが減って核の損失が少なくなるということであるから、見方によっては、“体力回復中”の姿を眺めていると考えることもできる。


4月15日(火)
朝方、非常勤講師のため某短大に向かう途中、渋滞を避けて百間川の土手沿いの道路を通ったら、菜の花(正式には“セイヨウカラシナ”というらしい)が綺麗に咲いていた。これを前景に彗星の写真を撮れたら、と思いつく。
昼休みに大学の構内を歩いていたら、教室の学生から“今年の春は花が少ないですね”と声をかけられた。これまで、毎朝800-830頃に、構内の雑草取りをしたり、こっそり花を植えたりしていたのだが、彗星見物を始めてから、精神的ゆとりがなくなってしまった。これが花が少なく、雑草が生い茂っている最大の原因だ。
例えば、龍王塚古墳まで彗星を見に行くと片道20分かかる。20分というのは気軽に行かれる距離ではあるのだが、帰りに20分、現地で20分とすると、1日1時間を彗星見物に費やすことになる。その1時間に加えて、さらに30分も園芸作業をするというのは、論文や出版物の締め切りに追われて生活している私にとっては、ちょっと時間を使いすぎるのだ。本当は、朝に30分ぐらい草取りをしたからといって、仕事の量がそんなに増えるわけではないのだが、典型的なタイプA人間の私としては、それがどうしても“焦り”に結びついてしまう。2ヶ月にわたる彗星見物で、少しは心が大きくなってゆとりもできたかと思ったが、いつも“早く早く”と周りをせき立て、“いま〜しないと後悔する”という“阻止の随伴性”ばかりで動く、私の性分はちっとも直っていないようだ。
さて、予報では、夜半前には晴れるとのことだった。実際、いくつか星も見えていたが、北西方向は薄雲がとれない。それでも、これだけ晴れ間が見えているから何とかなるだろうと思い、朝、菜の花を見た百間川の土手に行ってみる。車で10分ほどの距離だ。2015頃に到着し、土手の空き地に車を止めて15分ほど晴れ間が出るのを待つが、いっこうに晴れない。近くのカペラや北斗七星は見えているのに残念だ。その後、アパートの5階の階段から、何度か外を眺めるが、結局、位置すら確認できなかった。



4月14日(月):1900-1905
昼間は、まあまあの晴天だったが、黄砂現象が観測されたとニュースで言っていた。黄砂現象自体は、何となくシルクロードの大砂漠を想い出させてくれるもので嫌いではないが、この時期に限っては、迷惑このうえない。
夕食後、1900頃に大学に行くと、まだ薄明が残る中に、かろうじて彗星の姿を見出すことができた。
いちばんよく見えた時なら、「どこ?」、「あそこ」、「ああホント、すごい!」程度の会話を交わすだけで、誰でも彗星を見られたが、今日の彗星は、「どこ?」、「あそこ」、「ええ?見えない」、「あそこだってば」、「やっぱり見えない」、「そこの木の上で、あの屋根の2倍の高さ」、「ああ、ずいぶん暗いのねえ」、というぐらい説明しないと見えないほどであった。
今日は授業のためNHKの英会話の放送が聴けなかったので、1925-1945まで再放送を聴く。終わってから空を見上げるが、薄雲がかかっていて、姿は確認できず。
2030頃、アパートのベランダから外を眺めるが、見えているものと言えば、傘をかぶった半月と火星だけだった。2100には、火星も見えなくなっていた。遠くのほうで、水銀灯がいくつか照っている。たぶん、どこかのグラウンドかテニスコートのナイター営業なのだろう。その明るい光が、ボーっと空を照らしていた。
けっきょく、本日は、5晩連続で肉眼で眺めた、という記録更新の自己満足だけで終わった。


4月13日(日):1920-2010
陽気もよく、昼間、家族で大学構内と周辺をサイクリング。時計台の手前に八重桜がきれいに咲いていたので、夜、これを前景に写真をとろうと思いつく。
夕食後、まず、昨晩に引き続き、大学の事務局本部の建物を前景に写真を撮ろうと行ってみたが、きょうも同じ場所に明かりが灯っていた。あるいは、防犯上つけっぱなしにしているのかもしれない。次に時計台前で、八重桜や文学部の建物を前景に数枚。日曜日にもかかわらず、けっこう明かりがついている部屋が多かった。

[Image]1923撮影。50mm。30秒。文学部を前景に。周辺の灯りの影響もあり、これが限界か。どこに彗星があるか、わかりますか?

よく晴れていたので、4晩連続で竜王塚古墳に行ってみる。双眼鏡ではさほど変わらないように見えたが、肉眼では月明かりの影響がかなり強く感じられた。帰りがけに、すぐ下の桃畑(12日とは異なる場所)で2-3枚、桃を前景にした写真を撮る。

4月10日-13日の連続写真


2030すぎに大学の研究室に戻った頃には、彗星は、目をこらしてやっと見える程度に暗くなっていた。まだまだ高度が高いとはいえ、薄明終了の1945から、高度が下がって春霞の影響を受け始める2030のあいだに限られるようだ。


4月12日(土):1920-2050
3日続きの快晴となった。午前中は仕事。昼前から、弁当を積んで桃の花を見に行く。この場所は、観光案内には載っていない。妻が、近所の奥さん連中から人づてに得た情報だ。さすが、奥さん連中の情報網は、すごい。この場所は、3月、早朝に何度か訪れたリサーチパーク芳賀区から車で5分ほどの所にあったのだが、いつも暗い時しか来ていなかったので、全く気付かなかった。あまりにも桃の花が美しかったので、夜に、これを前景に取り入れた写真を撮りに来ようと決意する。
桃のお花見のあと、昨日と一昨日の夜に写真を撮りに来た場所(空港の北西側にある丘)に行ってみた。【ここに限らず、彗星見物の場所は暗い時しか訪れていないので、どんな所かわからない。ハイキングをしていて道に迷い、やむを得ず野宿する、夜が明けてみたら、じつは牧場の中で、牛に顔をなめられた、などという話があるが、これと同じことだってあり得るのだ】。すると、この“丘”と呼んでいた場所には、“竜王塚古墳”と呼ばれる円形の古墳があって、公園風の空き地になっていることが初めてわかった。(前掲写真の枠内の古墳の拡大写真は、こちら)。
ついでに、空港の北側をまわって、3月23、24日の早朝に訪れた、レスパール藤ヶ鳴近くの小高い公園にも行ってみる。こちらも昼間は初めてだったが、御影石を並べた、公園風のところ(枠は、3月23、24日の撮影エリア)だった。北東から東方向の広大な芝地は、じつはゴルフ場であることが初めてわかった。
さて、夕食後、先に、大学構内に行って、事務局本部(学長室もある)のある建物を前景に彗星の写真を撮っておこうとした。この建物は、正式の名称は知らないが、旧日本軍の司令部(古い地図には、歩兵33旅団司令部跡、あるいは、岡山連隊区司令部跡と記されているが、定かではない)が置かれた建物というように聞いており、時計台と共に、彗星の前景としては格好の建物である。平日は建物内の明かりがあるため撮影できないので、土曜日ならば、と思って行ってみたが、何と、2室ほど明かりがともっていて、断念せざるを得なかった。土曜休業日でも仕事をしている人がいるようだ。
次に、予定通り、昼間訪れた“桃源郷”に行ってみる。ところが、ここもまた予想外の難敵があった。4月10日に、リサーチパークでの撮影を断念させた、西方向正面の丘の10基ほどの水銀灯が、さらに近くに輝いていたのである。それも、彗星と殆ど同じ方向に位置し、逆光と同じ条件を作っていた。これでは、まるでアンチ・ライトダウンキャンペーンをしているようなものだ(とはいえ、彗星ファンのわがままばかり言っているわけにもいかないかも)。そこで、桃畑全体を前景に入れる構図は諦め、この水銀灯が竹藪の影になる場所をみつけて、数株の桃の花だけを前景に、5-6枚撮影した。

“桃源郷”と彗星


桃畑が好適地でなかったため、帰りがけに竜王塚古墳で数枚の写真を撮る。土曜日の夜ということもあって、5-6台の先客がいた(彗星と関係なさそうなグループやカップルの車もあった。この場所は、反対方向から空港の滑走路が見渡せるので、絶好のデート・スポットになっているのかもしれない)。

[Image]2016撮影。50mm。28秒。岡山空港北西側の竜王塚古墳前の公園にて。これで3日連続。

その後、やり残した仕事があったので、大学の研究室に戻る。まだ彗星が見えていたので、散りかけの桜の花を前景にもう1枚。昨晩もそうだったが、春霞のせいか、高度が下がるにつれて、急速に光を失ってしまうように見えた。
[Image]2047撮影。50mm。絞り4。距離30m。40秒。大学構内で、桜の花を前景に。



4月11日(金):1920-2050
学校の土曜休業日の前日にあたることと、10日締切の仕事が終わって一息ついたこともあって、夕食後に一家でレスパール藤ヶ鳴へ。
途中、同じ道路を通って、昨晩探し当てたばかりの空港の北西側にある丘まで来る。昨晩と違って、時折薄雲がかかるが、尾の長さはペルセウスのαに達するのではないかと思われるほどに伸びているのが肉眼でも確認できた。

[Image]1936撮影。50mm。28秒。岡山空港北西側の竜王塚古墳前の公園にて。薄雲があり、あまり見えないが、昨晩に引き続いての見物。

1枚だけ写真を撮り、空港の北側を廻って、レスパールに。途中、空港横の夜桜が満開で美しかった。市内の桜はだいぶ散ってしまったが、ここは市内より多少温度が低いため、今が見頃であると直前に聞いたTVニュースで紹介していたところだ。
レスパールには、水着をつけて入る男女共用の温水プールがあり、その一部が屋外に出ている。屋外からは、正面西方向に岡山空港の滑走路があり、飛行機の発着はもちろん、南西から北方向までの雄大な星空を眺めることができる。もちろん空港や温泉周辺の照明の影響はあるが、岡山近郊の温泉や健康ランドの中で、これだけ雄大な星空が眺めが見られるところは他にはないのではないか、と思う。彗星やその左横の三日月(この日の月齢は3.7)はもちろん、ぎょしゃ座の5角形などを確認することができた。
3月末の九州旅行の時から、いちどは露天風呂から彗星を眺めたいと思っていた。ここは厳密には温水プールであるが、とにかく目的が達成できて満足であった。露天風呂から彗星を眺める理由は、別に風流さを強調するためではない。これまで、素人のくせに、どちらかと言うと写真撮影を優先して彗星を追い回してきた。そのため、たとえば30秒間露出の撮影をする最中は、彗星ではなく、デジタル時計を見つめて時間を測っていたのである。露天風呂から彗星を眺めるということは、そういう撮影優先の雑事から離れて、無心に、自分の目で彗星を眺めるという目的があった。それと、お湯に入りながら彗星を眺める、ということは、最もリラックスした状態で眺めることになる。これまで、小雪が舞った早朝の見物を含めて、結構、無理ばかりして眺めてきた。ここでは、もっと気楽に、リラクセーションに彗星を取り入れる気分で眺めることを意図したのである。
お湯につかりながらのんびりと彗星を眺めていると、この2ヶ月近くに及ぶ彗星との関わりについての数々の思い出が浮かんでくる。これまでで一番印象に残る場面としては、3月8日、車を走らせて旭川の谷間から天の川と共に眺めた時のこと、その日を含めて、時計台を前景に何回か写真を取りに行ったこと、3月18日と21日の早朝に、最高の条件で、驚くほど明るく尾の長い勇姿を眺めたことであったろうか。いま述べたのは、すべて早朝の見物であったが、これに比べると夕刻の見物のほうは、いくらか感激が薄かった。やはり、彗星見物は、多少無理をしても、誰もいない早朝の澄んだ空を独り占めしてこそ価値があるものかもしれない。


4月10日(木):1950-2040
弱い冬型模様で、透明度もよい。夕食後、さっそくリサーチパーク芳賀区に向かった。残念ながら、妻は風邪のための頭痛があり同行せず。子供たちは、“もう見た”、“1度だけ見ればよい”などと言って、TVチャンピオンに夢中になっており、結局、単身で出かけることになった。
リサーチパークを訪れるたのは、3月27日以来2週間ぶりであった。これだけ透明度がよいので、先客がいるだろうと思ったが、誰も来ていない。その理由は、すぐに分かった。西方向正面の丘に10基ほどの水銀灯が、まるで満月が出たような明るさで光っていたのである。この2週間余りのあいだにできた施設なのかは、わからない。あるいは、4月になったので、どこかのテニスコートが夜間営業を始めたためかもしれない。いずれにせよ、彗星は見えることは見えたが、この光害では大学構内のほうがよほどマシだ。さっそく、別の場所に移動することにした。
幸い、この時期の彗星はまだ高い位置にある。車を動かしながら、最適地を探していると、岡山空港の北西に位置する小高い丘があった。ここは南側に、滑走路の西端の青いランプが並んでいたが、北から真西にかけては、空がひらけているうえに、じゃまになるような照明もない。ここを適地と決めて写真を撮ることにした。

[Image]2015撮影。50mm。28秒。岡山空港北西側の竜王塚古墳前の公園にて。夕刻としては、これまでの最高。

はじめのうちは、時折薄雲がかかることはあったが、透明度としては、おそらく宵空では、これまで最高の条件であった。左側の三日月は、右横のプレヤデスを消し去るほどに輝いていたが、彗星の尾を見えにくくするほどの影響はなかった。じっさい、ダストテイルは、ペルセウスのαとアルゴルに達するのではないかと思えるほどに伸びていることが、肉眼でも確認できた。
あまりにも尾が見事だったので、久しぶりに望遠鏡を出す。20mmの接眼(約40倍)で覗くと、核付近の光点とそのまわりのモヤモヤがはっきり区別できた。また、モヤモヤは、ダストテイルとは正反対の方向のほうがずっと明るく、縞状に吹き出しているように見えた。
しばらたって、私がここにくる前からここに来ていたカップルが、望遠鏡を覗きにきた。双眼鏡も貸したが、こちらで見たほうが感動した様子だった。
帰る少し前に、もう1台、別の車が来た。こちらには若い男性が乗っていて、やはり彗星見物に来たという話だった。しばらく、彗星談義をしたが、私のほうは論文の締め切りを控えどうしても研究室に戻る必要があったので、お先に失礼させてもらった。
月明かりの影響がますます出てくるため、この彗星に関して、今晩以上の姿を眺めることは、もうないだろう。きょうは、納得のいくまで眺められたので、これで思い残すことはない。
大学の戻る途中、農場の洋梨の花がきれいに咲いていたので、これを前景に撮影を試みるが、周辺の照明が明るすぎて断念する。2100頃、大学で、半田山の稜線に沈む直前の彗星を見る。天候等の条件が違うのでいちがいには言えないが、沈みかけの時の明るさは3月より少し暗くなったような気がしてならない。ただ、ダストテイルは、ずっと長くなっているように見えた。


4月9日(水)
夕刻から翌日にかけてずっと快晴、という予報。月明かりの影響が出る前に、もう一度でよいから最高の条件で彗星を眺めたいと期待していたが、なかなか雲が晴れない。2100頃になって、ようやく快晴に近い状態になった。とはいえ、北西の空には、カペラが弱々しく光っているだけで、彗星は位置すら確認できなかった。薄雲のせいであろうと思うが、もはや、薄雲を突き破るほどの明るさは、なくなっているのかもしれない(某天文誌の予測では、最盛期の修正光度は0.0等、9日は0.2等となっていて、それほど差はないように思うのだが)。
明日は、三日月の影響が避けられないだろうが、晴れれば、リサーチパークで、最後の勇姿を眺めたいと思っている。ああ、10日締め切りの論文原稿を早く仕上げなければ...。

ロスのNさんからの報告です(時刻は現地時間)。
こんばんわ,Nです。
4/9,21:00です。

今日のH-B も,すごいですね。日本の長雨,あがりましたか?
風もなく,満天の星空です。
南には,オリオン,アルデベラン,スバルなんかも,良く見えています。
オリオン大星雲も,しっかり見えます。

明日のH-B は,Perseus の一番明るい星(アルファ)を,尾のなかに,入れてしまうことでしょう。それくらい長くのびています。もっと長くもみえますが。。。。。
本当に,今日のロスの空は,星ばっかりです。

岡山でも,見えていること,祈ります



4月8日(火):1925-2000

[Image]

桜の花と共に




4月7日(月)
天気予報では18時頃から晴れる予想になっていたが、厚い雲がたちこめ、航空管制用のライトが雲を照らしていた。ひまわりの映像を見ると、低気圧に向かって北から吹き込む雲が、岡山近辺までかかっていた。
2000頃、北海道ニセコ町のライブカメラを自分で動かして、彗星の映像を捉えようと試みる。だいたい方角は正しかったと思うのだが、何も写らなかった。あるいは曇っていたのかも。
帰宅後、アパートの階段の5階のテラスから、時折、半田山方向を見る。2130頃になって、空の東半分が晴れてきたが、彗星のあたりは、相変わらず雲。
2145頃になって、ほぼ快晴に近くなったが、残念ながら、すでに半田山の稜線に沈んでしまったらしく、位置すら確認することができなかった。ぎょしゃ座のカペラが、妙に明るく光っていた。
夜半過ぎに、外を眺めたら、月明かりもなく、最高に近い星空が見えた。もう、1時間、せめて30分早く晴れていたら、と思うと残念である。
ここで、ふと思ったが、本物の天文ファンであれば、彗星が去ったあとでも、こういう夜空の時には、望遠鏡を出して星を眺めるものだろう。私には、そこまで気力はなかった。ということは、所詮、私は“にわか天文ファン”にすぎないということになりそうだ。彗星が去ったあと、天文から全く離れることはないと思うが、今後どうかかわっていくのか、そろそろ考え時かもしれない。



4月6日(日):2055-2105
朝から断続的に雨が降り、甲子園球場の高校野球も中止になった。夕方も曇っていて、たぶんダメだろうと思っていたところ、2100前から急に晴れ間が見えてきて、4月1日夜に、くじゅうで眺めて以来、じつに5日ぶりに、お目にかかることができた。
第一印象は、ずいぶん高度が高くなったということだ。3月19日の会議終了後に大学の5階のテラスから見たときには、1940に半田山の稜線に隠れたことを記憶しているが、きょうは、同じ5階のテラスに上ったところ、2110頃までは光っていた。自宅アパートからは、2130になってもまだ、半田山の上に輝いていた。

[Image]2104撮影。50mm。28秒。文学部5階のテラスから。5日ぶり、半田山の稜線に沈む直前に見える。

雨上がりで霧が立ち上り、お世辞にもよいコンディションとは言えなかったが、とにかく、久しぶりにお目にかかれて満足であった。

ロスのNさんからの報告です(時刻は現地時間)。

今日から(4/5)アメリカは,夏時間になり,午前2:00が3:00になります。
私は,4:30に起き,朝の彗星を探しました,5:30まで探しましたが,見ることは出来ませんでした。
北極星や北斗七星,白鳥座なんか,いっぱい他の星は,きれいに見えたのですが,Hale-Bopp 見つかりませんでした。残念です。
今日のこんなによく,星が見える日に見つけられないのは,もう朝のHale-Bopp は,見れないと言うことでしょうね。
今朝で,朝の観察やめにします。でも きっと明日の朝も,眼が覚めることでしょう。
とりあえず,報告だけ,しておきます。


4月5日(土) 朝から、時々雨が強く降り、昨晩に引き続き、彗星は見られそうにもない。九州旅行の時、3晩連続で晴れたのがウソのような長雨だ。これでは、各地で予定されている土曜の夜の観察会を楽しみに待っていた子供たちが可愛そうだ。お花見のほうも散々。露天商の人たちも、がっかりだろう。


4月4日(金)
ロスのNさんからの報告です(時刻は現地時間)。(この日の長谷川の記事は、九州彗星見物記のほうにあります)。
今日の,Hale-Bopp とってもよく見えます。Tail の中に,perseus の星がきらめいて,いるんです。とっても幻想てきです。
Capella も,Double Cluster も,Ariesも,みんなはっきり見えます。尾なんて,二つに分かれているところや,色の違いまで,肉眼で確認できるんです。
きょうは,4/4,19:20〜20:15まで,観測しました。このごろの朝は,いつも雲が多くて,観測できません。朝の彗星も観察したくて,4時には起きているんですが。。。。。 では また。

(長谷川より)4月1日の早朝に、阿蘇で観察を試みましたが、薄明の影響が強すぎて、もはや位置を確認することさえできませんでした。天文雑誌などのデータから考えても、残念ながら、もはや無理ではないかと思われます。


4月1日(火)
ロスのNさんからの報告です(時刻は現地時間)。(この日の長谷川の記事は、九州彗星見物記のほうにあります)。

夜(4/1)のロスは,風が強く冷え込み,とても寒いです。
ブランケットを 頭から乗せて?観察しました。19:00〜20:30 まで。
地球最接近なんですね。なんと長く,幅の広い尾でしょう。
最後は,cassiopeia に届いているみたいです。頭のすぐ横にある,
明るい星は,andromeda の一番上の 星でしょうか?ぶつかりそうですね。
今日のH-B 大きすぎて,私の望遠鏡に入りきらず,今日は 双眼鏡で見ています。青い gas tail と白い dust tail はっきり見えます。
この前言っていた,dust tail の中の線のこと,ロスのグリフィース天文台 に聞きました。
『シンクロニック,バンド』と言って,巨大彗星には,必ず見られる,ものだそうです。4本観測できるそうです。
(私は3本しか,確認できませんでした。)
一人静かに見ていると,ゴーと音をたてて,近ずいてくるような,錯覚になります。