じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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カラクリ湖〜カシュガル

2000.8.11


8月31日(木)

【思ったこと】
_00831(木)[_008PC]「砂防ダム不要、壊れてから直せばよい」という発想

 今回は、カラクリ湖からカシュガルに至るまでの区間で思ったことを記したいと思う。この時の主な写真を、こちらにアップした。

  今回の旅行の主たる目的は、雪山、砂漠、大草原、高山植物.....など大自然の景観を楽しむことにあった。この趣旨から言えば、私にとってはカラクリ湖が旅行の目的地、そこから先は帰路と言えないこともない。山好きの私は車の最後部の座席に陣取って、後ろの窓から遠ざかるムスターグ・アタやコングールを眺めて名残を惜しんだ。

 写真1〜3はそのようにして後ろ向きの方向に撮影したものである。私にとっては名残惜しい景色であるが、古代、逆方向に中国の砂漠からパキスタンに向かった旅人たちにとっては、初めてみるムスターグ・アタの雄姿にさぞかし感激したのではないかと思う。

 いま上に「カラクリ湖が旅行の目的地、そこから先は帰路」と書いたが、じつはカラクリ湖を後にしてから40〜50分ほど走ったところにそれに匹敵するぐらいの景勝地があった。写真5〜10は左から右にその景色を繋ぎ撮りしたもの、写真11は数十メートルほど移動して撮影したもの。この写真11はノートパソコンの壁紙に使用しているぐらいでたいへん気に入っている。この湖の周囲にはムスターグ・アタやコングールのような秀峰は見られないが、代わりに左手に写真7のような巨大な砂丘、右手には写真9のような雪をかぶった山々が続いていた。このあたりでもう一泊できなかったのがまことに残念であった。

 カシュガルへの道は、写真11の雪山の右手を回り込むように続いていた。そこから先は悪路となり、毎年のようにどこかの道路が土石流で埋まったり洪水で流されたりするという。写真12から21の区間が特に悪路であり、4〜5日前までは不通となっていた個所でもあった。人や家畜だけが通る道となるとさらに崩壊が激しい。写真16などは、25〜6年前に通ったことのある富士山お中道めぐりの大沢崩れ難所や大山剣ヶ峰縦走コースにひけをとらない悪路であるように見えた(←大沢崩れと大山縦走は現在ではさらに崩壊が進み通行禁止となっている。念のため)。

 もし日本に同じような道路があれば、至るところに「落石注意」の標識をたて、危険箇所があれば公共投資の一環として巨大な砂防ダムを建設したり、崖崩れ防止の金網をかけたり、トンネルを造ったりすることであろう。しかし、ここでは砂防ダムなどはまったく無力、「壊れてから直せばよい」という発想で、大自然の強靱な破壊力に無理に抵抗せず、人間側の生活をうまく順応させているように見えた。もちろんだからと言って日本の砂防ダムがムダというわけでもない。一年中雨の降る日本と違って、このあたりで洪水が起こるのは、雪解けと重なる7月前後に限られているようだ。そういう時に無理に通行しない限りは犠牲者も出ない。それぞれの村は自給自足体制が整っているので無理して物資を輸送する必要もない。そういう大らかな風土であればこそ、砂防ダム不要の生活が成り立つのであろう。

 写真11から21の区間で時折間近に雄姿を見せていたコングールが遠ざかると、道路は、赤茶けた岩山にはさまれた、だだっ広い川の横を通る道へと変わっていった。そのあたりから道の両脇にピンク色の小さな花をたくさんつけた小木が目に付くようになった。これがタマリスクだというが、移動中の揺れもあって残念ながら一枚も良い写真が撮れなかった。

 カシュガルに到着する前、ちょうど日本のドライブインにあたるような感じで店が建ち並ぶ町に入った(写真25〜28)。確かシュフという名前だったと思う。

 ガイドさんの案内で、地元でも評判と言われるレストランに入り、地元の人たちに混じって昼食のラーメン、肉饅頭、チャーハンを食べる。レストランの奥に置かれた白黒テレビからは、1950年代と思われるような洋物のコメディの音楽がボリュームいっぱいに聞こえてきて、いったい今どこにいるんだろうと錯覚をおこさせるほどであった。私の席の後ろには皮をはいだ羊が丸ごとつるされておりハエがたかっている。タシクルガンでもそうだったが、このあたりでは丸ごとつるされた肉の質や鮮度が消費意欲をそそる看板の役割を果たしている模様だ。衛生上の不安はあったが、いずれの料理もとても美味しかった。

 シュフを出たあとは、半乾燥地帯の平原がカシュガルまで続いた。コングールを初めとする雪山はますます遠ざかり(写真29、30)、砂塵にまみれてシルエットのようになって消えていった。