じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2012年版・岡山大学構内の紅葉(23)最終回

 岡大七不思議の1つ、一般教育棟陸上競技場西隣の「落ちないフウの並木」も、かなり葉を落としてきた。28日から帰省したため、これをもって2012年版・岡山大学構内の紅葉シリーズの最終回とさせていただく。

 なお、 岡大構内の紅葉のアルバムを以下に掲載しています。 スライドショーまたは、個別の写真の拡大表示にてご覧ください。いずれも掲載完了。2012年版は枚数が多すぎるので、いずれ、厳選30枚程度に削減する予定。



2012年12月29日(土)

【思ったこと】
_c1229(土)質的研究・文化心理学の交差点:ヤーン・ヴァルシナー教授を迎えて(4)ヴァルシナー氏の講演(3)

 12月28日の続き。ヴァルシナー氏の講演については、とりあえず、最後の要約部分を引用することとし、詳しい内容については、御著書(サトウタツヤ氏監訳)を入手したのちに、改めてコメントさせていただこうと思っている。でもって、配布資料に記された要約は以下の通りであった(訳はサトウタツヤ氏)。
  1. 文化は心【MINDS】の中と社会【SOCIETIES】の中にある。文化は記号によって人間の行為をダイナミックに制御する形式である。
  2. 人間行為(行動ではなく)【HUMAN CONDUCT(NOT "BEHAVIOR")】の学としての心理学は必然的に記号論的になる。人間の行為は「意味に満ちた」ものとしてのみ理解されうるべきで、ゆえに、質的に研究される。
  3. 人間の精神の文化(記号論的)【CULTURAL(SEMIOTIC)】調停【MEDIATION】は、破壊と構築の統一を含む。
 このうち1.は、私にはどうにもなじみにくい表現であって、殆ど理解不能であった。おそらくこれは、内化【INTERNALIZATION】と外化【EXTERNALIZATION】を素朴表現でわかりやすく?述べたものと思われるが、少なくとも、「心の中」、「社会の中」、「〜の中にある」、「記号」がどのように定義されているのかが分からないと、禅問答の域を出ない。ちなみに、私自身の考えは、こちらに述べた通り。また、Skinner(1953)は、
文化とはその中で生まれた人に影響を及ぼすその人以外の人々によって用意されたすべての変数のことである。
と定義していることを再度引用しておく。

 次に2.では、人間行為(行動ではなく)【HUMAN CONDUCT(NOT "BEHAVIOR")】という部分で、行為と行動をどう区別しているのかが気になるところである。ちなみに、中国語では、「行動主義」は「行為主義」と呼ばれている(こちらの写真(台北)参照)。 。このほうがBEHAVIORにぴったりの訳になるというのだが、ここで訳されている「行為ではなく行動」とはどう違うのだろうか。それから、行動分析学でいう行動とは、外形的におなじに見える筋肉の動きではなくて、あくまで、行動随伴性とセットになった行動として定義される。さらに目的論的行動主義ともなれば、さらに中・長期的な視点が入ってくる。また、「記号論的になる。人間の行為は「意味に満ちた」」は、個体を取り巻く環境刺激の一部が弁別刺激や習得性強化刺激になることとして十分説明可能であるように思われた。

 3.の「破壊と構築の統一」については、12月28日の日記でも言及したように、日常場面での行動(行為?)は、いちいち葛藤や選択を迫られるようなものではなく、単に、生起頻度の確率が増えたり減ったりするだけの現象として捉えてもそれほど不都合はないと考えている。

 次回に続く。