じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 岡山でも積雪。

 12月28日朝、低気圧の接近で岡山では、屋根の上や乾いた土の上で若干の積雪があった。昼から雨が降るというのが前日の予報であったが、午前9時の気温が1.4℃であったため一時的に雪となったようである。その後雨に変わり、合計14.5ミリの雨量を記録した。


2012年12月28日(金)

【思ったこと】
_c1228(金)質的研究・文化心理学の交差点:ヤーン・ヴァルシナー教授を迎えて(3)ヴァルシナー氏の講演(2)物乞いは通る人を「意味論的罠」にかける?

 12月27日の続き。前回も述べたように、このヴァルシーナ氏の講演は、わずか1時間の講演時間の中で分厚い著書の中味を紹介するという盛りだくさんな内容であったため、論拠が不明なところが多々あった。

 そんななか、街角を歩いていて物乞いに出会った時の行動が取り上げられていた。ちなみに、現代の日本では物乞いに遭うことは殆どあり得ない(←物乞いされても寸借詐欺ぐらいにしか思わない)が、私が子どもの頃は、渋谷駅周辺でボロをまとって物乞いをする人を多数みかけたものである。ヴァルシーナ氏が育った倫理観から言えば、まずは「困っている人を助けるという内化されたモラル」があり、物乞いからお金をねだられたのに無視して通り過ぎることで意味論的罠が発生する。そして、戻ってお金を与えることで緊張が低下するというような内容であり、物乞いは通る人を「意味論的罠」にかけるというように主張された。このプロセスの分析には複線径路等至性モデル(TEM)が有用であり、「ありうる未来の方向づけのフィールドが、過去の分岐点における二項対立を回顧的に焦点化するようになる。」と説明された。

 このたとえ話に関してはシンポ終了後のフロアからの質問でも言及されたが、こういう場面で常に二項対立が発生するのか(三項以上ということもあるし、対立というほど大げさな決断を迫られない場合もあるのでは?)については大いに議論を呼ぶところである。なお、ヴァルシーナ氏はこの点に関して、二項対立というのは可能な選択肢の数ではなく、回顧と未来という二方向という点での二項というようなお答えをしておられた。

 上にも述べた通り、現代日本では、街角で物乞いに遭うということはまずありえないが、外国を旅行した時には何度も出会ったことがある。特に、イスラム圏やチベット圏では、物乞いをする行為は宗教的にも正当化されているようで、相当しつこくつきまとわれたことが何度かある。もっとも、強固な倫理観を持たない私のような者は、物乞いはすべて無視するし、そのことで「意味論的罠にかけられる」というような体験は一切ない。また、物乞いにお金を与えるかどうかというのは、強化のプロセスで十分に説明可能であり、個々の出来事別に二項対立を設定するのではなく、一定期間における行動の生起頻度の変化を測ればそれで済むようにも思えた。

 次回に続く。