じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 12月10日の早朝は快晴となり、東の空に、【右上から】月、土星、金星、水星が並んで光っているのがよく見えた。また、西の空には冬の星座のほか、木星が明るく輝いていた。

 月齢は26.0。3つの惑星のほか、スピカとアークトゥルスが見えている。


12月9日(日)

【思ったこと】
_c1209(日)TEDで学ぶ心理学(22)Daniel Kahneman: The riddle of experience vs. memory.(3)「経験の自己より記憶の自己」という議論

 昨日に続いて、

Daniel Kahneman (2010). The riddle of experience vs. memory.

の話題の3回目。

 プレゼンでは、「the experiencing self(経験の自己:直接体験している自己)」と「the remembering self(記憶の自己:想起された自己)」の違いに関して、大腸内視鏡検査の痛みを患者がどのように受け止めるかについての事例が紹介された。カーネマンも語っておられるように、かつての内視鏡検査というのは相当の苦痛を伴うものであった。私自身は、幸い、大腸の検査は受けずに済んでいるが、胃カメラは何度か体験している。それも、35歳の人間ドックで受けた時は、喉に太いパイプを挿入され何度も嘔吐反応が起こって大変な苦痛であったが、いちばん最近受けた時には、鼻から細い管が入り、何とか耐えられる程度に収まっていた。ということで、1990年代の大腸内視鏡検査がいかに苦痛を伴うものであったかはある程度想像がつく。

 プレゼンでは、患者Aと患者Bの苦痛が比較された。検査の時間は患者Aのほうが半分であったが、検査終了直前に痛みがピークを迎えていた。患者Bは検査時間は患者Aの2倍もかかっていたが、検査の後半部分では痛みの程度が半減していた。【←痛みの程度とは、患者自身による60秒ごとの0から10までの数値による評定】 要するに、記憶の自己にとっての苦痛とは、苦痛の終わり方の部分であって、苦痛の継続時間や客観的な苦痛の総量ではない。

 プレゼンでは続いて、1週間の休暇と2週間の休暇の充足感が比較された。これも同様であり、同じ程度の楽しさで1週間過ごした場合と2週間過ごした場合を比較すると、経験の自己の視点から言えば、2週間のほうが2倍楽しく過ごしたことになるが、記憶の自己から見れば、2週間目に新たな感動が付け加わらない限り、1週間でも2週間でもさほど変わらないことになる。このことは私自身も実感できる指摘である。例えば、どの海外旅行が一番感動的であったのかを思い出してみた場合、そのランキングと旅行日数は全く比例しない。

 カーネマンが指摘するように、我々は、記憶の自己のために楽しむのであり、価値判断や将来の選択は、経験の自己ではなく、記憶の自己のもとで決断される。

 もっとも、我々は常に今を生きているわけであるから、たとえすっかり忘れてしまうような出来事であったとしても、その瞬間瞬間の体験や感動は大切であるとは思う。であるからして、「終わりよければ全てよし」ということだけでなく、プロセスがしっかり記憶に残るようにいろいろな手立てを尽くすことも大切ではないかと思う。近年、誰でも簡単かつ安価で、写真や動画を記録できるようになった。中には、日常生活の様々なシーンをあまりにも多く撮影・記録したために過去と現在という区別がつかなくなったという話まで聞くが、ま、ほどほどであるという前提であれば、記憶の自己を豊かにするための手段として、写真、動画、日記などの手段は大いに役立つのではないかと思う。

次回に続く。