じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 最初で最後(?)の「京山金環食現象」の撮影に成功!

 岡大・一般教育棟構内(津島東キャンパス)のサークル棟非常階段3階テラスから、「京山金環食現象」をやっと撮影することができた。

 この現象については、昨年12月19日の日記で、
 岡山市・京山の旧・京山ロープウェー遊園跡地にある京山タワーが夕日と重なって金環食に見えることを「京山・金環食現象」と呼んでいる(←長谷川が勝手に命名)。
 今回の写真から推測すると、日没10分くらい前(←京山の高さの分を考慮)の方位と京山の頂上を結ぶ直線は、12月22日の冬至を最北として、12月16日から12月28日頃まで岡大・津島キャンパスの南東端の敷地を横切る模様である。但し、このエリアには、サークル棟以外には高い建物が無い。(ビルなどに遮られずに観察可能な)サークル棟非常口階段から京山・金環食現象が見られるのは、以下のように予測できる。
  • 京山タワー本体が夕日を遮るのは、12月17日前後と、12月27日前後。
  • 集光型太陽光発電パネルが夕日を遮るのは12月20日と12月24日頃。
と書いたところであったが、先日下見に行ったところ、上記の予測は誤っており、12月8日〜9日頃にピッタリ重なるということが分かった。

 12月8日(土)の夕刻16時37分〜39分に当該場所で撮影したのが左の写真である。12月9日(日)のほうが太陽と京山タワーがさらにぴったりと重なると予想されるが、残念ながら9日以降はここで撮影できなくなってしまった。サークル棟の改修工事が始まり、非常階段周辺にフェンスが設置されて立ち入りできなくなってしまったからである。 この場所で撮影できたのはまさに滑り込みセーフであった。ということで、次の観望の機会となる正月三が日前後は立ち入り禁止、次回は来年の12月9日(日)〜10日(月)【←来年は冬至が12月22日となって今年より1日あとになるため1日遅くなる】頃まで待たなければならない。但し、改修工事後に同じような非常階段が設置されているか、立ち入りできるかは不明であるし、そもそも雲が出ていれば観望できない。大学構内から「京山金環食現象」を観望できたのは、ひょっとしてこれで最後?ということもありうる。

※太陽光パネルと重なる金環食現象の写真は、2012年1月13日の楽天版にあり。
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12月8日(土)

【思ったこと】
_c1208(土)TEDで学ぶ心理学(21)Daniel Kahneman: The riddle of experience vs. memory.(2)

 昨日に続いて、

Daniel Kahneman (2010). The riddle of experience vs. memory.

の話題。

 プレゼンでは、「幸福という言葉はもはや役立つ言葉ではない。(It turns out that the word "happiness" is just not a useful word anymore.)」とした上で、幸福をめぐる3つの認知の罠が論じられた。もっとも1番目の「複雑さを認めることへの抵抗感」についてはあまり言及されず、もっぱら、2番目の「直接体験と記憶の混同(confusion between experience and memory)」と、3番目の(幸福の状態を左右する状況を ゆがめて考えてしまうこと(the focusing illusion, and it's the unfortunate fact that we can't think about any circumstance that affects well-being without distorting its importance.)の話題が取り上げられていた。なお、講演では、「the experiencing self(直接体験している自己)」と「the remembering self(想起された自己)」という表現がたびたび使われているが、果たして「self(自己)」という概念が必要なのかどうか、単に、経験と想起という言葉だけで論じても、それほど趣旨は変わらないのではないかという気がした。

 それはそれとして、ここで念のため「体験している自己」と「想起された自己」とは何か、まとめておくと、
  • 体験している自己(トランスクリプトでは「経験の自己」):現在を生き、現在を経験し、過去にも戻れる自己。基本的には現在しかない。
    ...an experiencing self, who lives in the present and knows the present, is capable of re-living the past, but basically it has only the present.
  • 想起された自己(トランスクリプトでは「記憶の自己」):記録を残し、人生の物語を紡ぐ。...【略】...記憶の自己は 語り手です 我々の記憶の基本的な反応で すぐに動き出します 話をするとき 我々が単純に語っているのではなく 記憶が物語るのです 要は経験から 引き継がれたものが 話になるのです
    ...the remembering self is the one that keeps score, and maintains the story of our life,...【略】...the remembering self is a storyteller. And that really starts with a basic response of our memories -- it starts immediately. We don't only tell stories when we set out to tell stories. Our memory tells us stories, that is, what we get to keep from our experiences is a story.
ということになる。心理学の質問紙調査や面接調査は原則として、想起された自己についての質問である。「いまの状態はどうですか?」という質問に対する回答も、厳密に言えば、過去数分間程度「いまの状態」が継続し、それを想起したうえで評価しているにすぎない。

次回に続く。