じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 日本心理学会・第76回大会の会場となった専修大学・生田キャンパスは丘陵地斜面にあり、屋上からの見晴らしは抜群であった。また写真にあるように、紅白のサルスベリの大樹がいっぱい花を咲かせていた。

9月14日(金)

【思ったこと】
_c0914(金)日本心理学会・第76回大会(3)高齢者の「孤立と孤独」を心理学から考える(3)独居男性高齢者の適応プロセス

 昨日の続き。ワークショップの話題提供の1番目は、

●独居男性高齢者の適応プロセスに関する事例研究

というタイトルであった。

 まず、話題提供者がこの問題に取り組んだきっかけとしては、老人大学に通う高齢者の調査結果があったとか。それによると、老人大学に通う独居高齢男性の割合は一般の統計資料における独居高齢男性の比率よりも極端に低く、【老人大学に通う機会や行動が少ないという範囲において】QOLの低下をもたらしている可能性がある。もっとも、欧米で行われた研究では独居男性のほうが同居男性に比べて自立度は高く、抑うつについては差がないという結果が得られており、仮に独居高齢男性のQOLが低いとしてもアジア圏特有の問題である可能性もある。但し、日本国内の研究でもまちまちの結果が報告されており、比率の差を比較するのではなく、自律性、健康悪化への不安、日常生活維持への不安などの差違について、個別の事例から検討を加える必要が強調された。

 話題提供で実際に報告されたのは独居高齢男性3例(67〜71歳。配偶者と死別、配偶者と離別、生涯未婚各1例)であった。この調査は、質的心理学会に関する連載(更新中)でも取り上げてきたTEMを使った分析であり、しかも、インタビューを含むすべての手順を2名で実施するという丁寧な研究であった。その結果、調査協力者3名いずれのケースでも特筆すべきQOLの低下は認められず、むしろ、人間関係を回避することで、他者との接触にひょって生じうるネガティブな出来事に遭遇することがないことへの満足感も示唆された。

 話題提供で若干気になったのは、「等至点(EFP)として、「独居の開始」と「適応」」が設定されていたことである。確かに、外形的には「独居」という生活形態には共通性があるが、死別や離別ではその後の独居開始は根本に変わるであろうし、生涯未婚の場合は「独居開始」という「点」そのものが存在しないようにも見える(←強いて言えば親兄弟からの生活上の独立開始か)。しかも、話題提供者の方も言及しておられたと思うが、ここで紹介されている「独居」というのは、死別や離別という出来事のあとに継続し変化・適応していく生活形態なのであって、選択や分岐にもあたらないように思う。もちろん、若者が親から独立、独居を決意するというような場合は話が異なってくるであろうが。

 もう1つ、これは些細なことだが、私の耳が悪いせいか、話題提供者は「等至点」を「とういてん」と発音しておられたような気がした。私はこれまで何の疑いもなく「等至点=とうしてん」だと思ってきたが、確かに過去の関連資料などを見てもどこにもふりがなはふられていない。ひょっとして、これまで何年も私の方が思い違いをしていたのではと不安になり、翌日の某ワークショップに来られたサトウタツヤ氏に直接聞いてみたところ、「とうしてん」という発音で間違いないことが確認できた。←ホッ。

 元の話題に戻るが、今回紹介された3名の独居高齢男性の場合、孤独に苛まれているというような印象は無かった。但しこれらの事例は、いずれも主観的健康状態が「まあ良い」か「どちらとも言えない」レベルにあり、経済的なゆとりは無いがなんとか生活の現状を維持できている人たちであった。また、インタビューに応じてくれているという点で、独居高齢男性の中でもQOLが高い人がサンプリングされていた可能性もある。とはいえ、独居高齢男性が傍目に見るほど「孤立」してはおらず、独居という形で「適応」していると考えることは十分に可能であろう。

 次回に続く。