じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2012年版・岡山大学構内でお花見(51)巨大輪マツバボタンいっぱい
 マツバボタンは乾燥に強いが、成長するためにはやはり水が必要である。このところのまとまった雨をたっぷり吸ったおかげで茎が伸び、たくさんの花をつけるようになってきた。

 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)を下半期上半期に分けて公開中です。下半期分は随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です。

9月4日(火)

【思ったこと】
_c0904(火)日本質的心理学会・第9回大会(3)個人の準拠枠の変容をTEM・TLMGで描く(3)「個人的文化」と「集合的文化」/「従来の心理学には時間の配慮が欠けていた」

 昨日の日記に続いて、

●制度的な組織の境界を超えた繋がり、活動、学習による個人の準拠枠の変容をTEM・TLMGで描く

の話題。冒頭の企画者からの説明では、文化化の捉え方として、「個人的文化」と「集合的文化」の2種類があること、このうち、個人的文化は「個人の中位発生レベルの解釈構造であり、他人の中位解釈構造との共振により達成される。しかし、個人文化は履歴による個別性があるので、内化ではなく共振」であると説明された【配付資料より引用】。いっぽう、集合的文化は、「個人間の言動の接続(コミュニケーション)の特定傾向であり、コミュニケーション連鎖の中で、特定される言動の意味を産出ステム」であるというように説明された。また両者は、システム的につながるが、個別の文化であるという(森, p91)。【いずれも配付資料より引用】。このうち、「集合的文化」は、行動分析学がとらえる「文化」とかなり似ており、その一方、「個人的文化」なるものは、行動分析学では、ルール支配行動や他者との相互強化で説明できるのではないかと思われたが、本題から外れるのでここではこれ以上は述べないことにする。

 続いて、「TEM」(Trajectory and Equifinality Model:複線径路等至性モデル)と、「TLMG」(Three Layers Model of Genesis: 発生の三層モデル)のそれぞれの特徴が紹介された。

 まず、「TEM」や「TLMG」が導入された背景には、「従来の心理学には時間の配慮が欠けていた」(サトウ,2009, p84)という指摘があるという。となると、広義の発達心理学は何だったのかという疑問も出てくるが、手元に原著が無いので、言わんとしている真意はよく分からない。但し、こちらの論文に述べたように、中期的な視点から行動を捉える必要性は私も感じている。継続される活動やライフスタイルのようなものは、その場その場の選択や強化だけで維持されているものではない。

 少し前に取り上げた、Sheena IyengarのThe art of choosingなど、まさにそうであると思うが、我々の日常生活の中では、多数の選択肢にどう対処するのかは重要な課題である。自由で能動的な選択機会が与えられている一方、選択に伴う自己責任にも留意しなければならない。しかし、アイエンガー先生の講演で取り上げられた「選択」の大部分は、どちらかと言えば些細な、飲み物の好みや商品購入に関わるような1回限りの独立した選択機会であったように思う。しかし、人生における重要な選択というのは、その場その場で独立しているわけではない。10年、20年単位で繋がりあい、中長期的かつ全体として評価されるようなものとなっている。例えば、大学入試に際して、文系のA大学A学部を志望するか、理系のB大学B学部を志望するかという選択を迫られたとする。仮にB大学B学部に入学したとしても、その選択が絶対的なものとして固定されるわけではない。大学に入ってからB大学の文系学部に転学部するということもあるし、いったん休学して、翌年、A大学A学部にチャレンジするということもできる。さらには、いったんB大学を卒業してから、A大学の大学院に進学するということもある。そして、卒業後の就職、さらには、定年退職後の生涯学習の機会というように、1つの選択は決して独立かつ1回限りの完結型ではなく、他の選択とセットにして評価され、次の選択機会へと進んでいくのである。こういう点では、「TEM」や「TLMG」は、中長期的な視点からの「選択」を考えるツールとして大いに役立つ可能性があるように思った。

 次回に続く。