じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 一般教育棟構内・ヴィーナス像の手前に出現したミステリーサークル。ヒントは2010年7月23日(楽天版)、2010年9月25日2011年7月14日などにあり。


7月23日(月)

【思ったこと】
_c0723(月)「おひとりさまの最期」講演会(14)おひとりさま仕様と家族関係

 7月22日の日記の続き。

 講演の終わりのところでは、「子どもは資源か、リスクか?」、「年金パラサイト」などをふまえて、高齢者のおカネを高齢者の幸福のために使うべきであること、そして「介護保険をおひとりさま仕様に!」が提唱された。スライド資料によれば、
  1. 終末期の集中ケアを可能に!
  2. 保険利用と保険外利用との組み合わせ
  3. QOLに応じた費用分担
  4. 支払い能力に応じた費用負担
  5. 低所得者に対する高額集中ケア費用減免制度
などであり、これらは「死ぬための費用」とその費用負担の分配を意味している。

 このうち、「子どもは資源か、リスクか?」という問題については、それぞれの家庭環境、すなわち、まずは親子関係、家業、子どもの職業、子どもとの年齢差、子どもが結婚した年齢などなどよってマチマチであり、親子関係や夫婦関係がうまくいかない事例、あるいは「消えた高齢者」といった事例を挙げただけで一般化して論じることはできないように思う。但し、どんなに仲の良い夫婦であっても、死ぬときは一人であり、かつ、自分の子どもたちにずっと付き添ってもらうことができないことは確かである。そういう意味では、非婚の高齢者ばかりでなく、子どものいる既婚者を含めて広く「おひとりさま仕様」を論じることは意義があると思った。

 「高齢者のおカネを高齢者の幸福のために使うべきである」かどうかについても、けっきょくは個人の価値観の多様性があり一概には言えない。確かに、一部の高齢者においては、自分の年金や資産を自分のためだけに使うことにはためらいを感じる人も居るだろう。ただそれとは別に、子孫のよりよい幸福が自分自身の幸福でもあると考えている人も少なくないはずだ。佐伯啓思『反・幸福論』の中でも指摘されていたように、個人が生きている間に享受した楽しみ、自身の向上、努力、能力などなどは、自分の死によってすべて消失する。その虚しさを逃れるためには、家族や世間のために何かを残すか、あるいはすべての執着を捨てて隠遁生活に入るほかはない。前者の場合、傍目には、あの人は、子どもや孫のためばかりにお金を使っているというように見えても、実際は、そのことが、自分自身の最善の消費になっているのかもしれない。利他的行動には、互恵的利他主義もあるが、自分自身の死によってすべてが消失ことを恐れる利己主義者は、家族や世間に何かを残すという「代替」によって、何とかして消失をくい止めようとしている場合もあるのではないかと思う。

 次回に続く。