じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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2012年版・岡山大学構内でお花見(40)ヒマワリ開花

 本部棟近くの花壇(農学部構内)でヒマワリが花を開き始めた。この花壇では毎年ヒマワリが育てられており、昨年の記録が2011年7月3日の日記にあり。

 ※岡山大学構内の花だよりのアルバム(追記更新型)をLife-Xに公開中です。随時追加していきますので、時たま覗いていただければ光栄です


6月26日(火)

【思ったこと】
_c0626(火)人間・植物関係学会2012年度大会(1)基調講演(1)里山の歴史と現状

 6月23日(土)と24日(日)の2日間にわたり、兵庫県中央労働センターで、人間・植物関係学会2012年度大会が開催された。

 昨年は、東日本大震災の影響で、当初予定していた年次大会が中止され、小規模な臨時大会が行われただけであったので、正式な大会としては2010年・人間・植物関係学会10周年記念大会以来2年ぶりということになる。

 神戸の近隣は何度も訪れているが、元町や三ノ宮の駅周辺を歩いたのは、阪神・淡路大震災の1ヶ月後にお見舞いに訪れて以来17年半ぶりであった。震災当時の倒壊した高速道路、斜めに倒れているビル、路上の地割れや段差などは今でも目に焼き付いているが、さすが17年も経つと当時の痕跡は無く高層ビルばかりの街となっていた。

 大会のほうは、1日目が基調講演2題とディスカッション、施設見学(神戸布引ハーブ園)、懇親会、2日目には口頭発表、ポスター発表、総会、会長講演(実際は会員どうしの意見交換会)という構成になっていた。また私自身は、高齢者と植物との関わりについて、複数の関係者から個別にお話を伺うことができた。

 1日目の基調講演は、2題とも里山に関する話題であった。

 1件目の「里山の歴史と現状」の内容で興味深かった点を以下にメモしておく【長谷川の記憶とメモに基づくため不正確】。
  • 「里山」の「ヤマ」は、周囲より標高の高い「山」ばかりでなく、平地の森林のことを指す場合もある。「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」という時の「山」は、おそらく、家の近くの森林であった。
  • 日本の里山は、人間と自然の共生の場でもあるが、もっぱら農用林として、肥料、薪、木材など多様に利用されてきた。江戸時代の絵図などを見ると、現在では自然林(あるいは二次林)となっているような山が草山となっていることが分かる。そのことによる土砂災害も今以上にあり、日本列島周辺に砂丘は、海に流失した土砂が堆積されたものと考えられる。
  • 江戸時代の農作業では、田植えや稲刈りといった直接稲作に関わる労働よりも、里山から持ってきた柴(小枝)のすき込み、草刈りなど、田んぼを肥沃にするための作業にかなりの時間が費やされていた。
  • 日本の里山で赤松が生育するようになったのは6世紀後半であり、それ以前の記録(例えば魏志倭人伝)には赤松についての報告は見当たらない。「白砂青松」という景観は6世紀以降に出現した。
  • かつての農村では、里山資源を利用した循環型の農業が展開されていた。現在では、里山資源だけで経済を成り立たせることはできないが、多様な有効利用が求められる。
 純粋に自然林保護という点から言えば、里山が利用されていた時代より今の時代のほうが、自然はよく守られている面もある。とはいえ、人の手が加えられない状況での植生は林床照度の低下などが起こり、生物多様性を守る環境としては不十分となる。現に、茂みが増えることで野生動物が人里にも出現して害をもたらしたり、松枯れ、竹の大繁殖、ナラ枯れなどが深刻になってきているという。ちなみに、竹林は地震の時の避難場所として安全と言われてきたが、根が浅いため、傾斜地では逆に地滑りが起こりやすく危険であるという。竹林が大繁殖しているのは、日当たりの悪い林の中でも、日当たりの良い竹林から地下茎を伸ばして侵入することができるためであるそうだ。

 次回に続く。