じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 スカイツリーより高い所から東京を見下ろす方法。

 各種報道によれば、「東京スカイツリー」が5月22日正午に開業。運営会社によれば、22日はほぼ1日雨が降っていたにも関わらず、ツリー本体に9000人、併設する複合商業施設と合わせて21万9000人が訪れたという。

 スカイツリーを下から眺めた写真は、これまで何度か載せているところであるが、わざわざ抽選申し込みや順番待ちをしてまで登ってみたいとは思っていない。

 ちなみに、スカイツリーよりもっと高いところから東京を見下ろす方法としては、飛行機がある。もっとも、羽田発着の飛行機では、離着陸前の電子機器の使用は禁止されているためデジカメでは撮影できない。写真は、2002年1月に、成田発福岡行きの飛行機に乗った時に撮影した写真。高度は5000m以上あるものと推定される。(関連写真がこちらのアルバムにあり。

5月22日(火)

【思ったこと】
_c0522(火)「自分の目で見る」という直接体験の価値と解釈

 5月21日は金環日食、その翌日の5月22日は、東京スカイツリー開業の話題が、テレビや新聞を賑わしている。その中でふと、日食をどういう形で見れば「自分の目で見た」という体験になるのか、また、なぜスカイツリーの展望台に登ろうとするのかという疑問が生じた。

 前者に関しては、今回の金環日食は、太陽が眩しすぎるため、直接肉眼で観察することはできなかった。薄雲がフィルター代わりになって、肉眼でも金環が見えたという非常にラッキーなケースもあったが、たいがいの人は専用のメガネ越し、もしくは、紙やスクリーンに投影した状態で見物することになった。それならばむしろ、テレビの中継でも同じではないかという考えもありうる。にも関わらず敢えて外に出て専用メガネで見ようするのは、おそらく、そうすることのほうがテレビよりも、直接的な体験を実感できるためではないかと思われる。

 そういう意味ではやはり、皆既日食のほうが遙かに直接体験の感動が大きい。コロナを自分の目で見ることができるし、その近くには、水星や金星も見えている。一瞬にして、空が100万分の1まで暗くなるというのは、テレビ画面では決して体験できない。

 かつてのヘールボップ彗星見物の場合は直接体験の度合いはかなり限られていた。あの彗星はかなり明るかったが、肉眼ではぼんやり滲んで多少尾が延びた程度にしか見えなかった。双眼鏡を使えばもう少しはっきり見えてくるが、美しい姿を捉えようとすれば、写真撮影に頼らざるを得ない。当時は銀塩フィルムしか無かったため、撮影後には写真屋にそれを持参し、数日後にやっとその時何が見えていたのかを知ることができた。

 昨日取り上げた、金星日面通過(太陽面通過)見物はかなり微妙である。自分で望遠鏡を引っ張り出してきて投影すれば多少は「能動的・主体的に対象と関わっている」という効力感が出てくるが、金星があまりにも小さいことでガッカリするかもしれない。それよりも、この日面通過が、1874年12月、1882年12月、2004年6月8日、2012年6月6日、2117年12月、2125年12月というように、きわめて稀にしか起こらず、今回見逃すと100年以上先まで誰も見られないという希少性を観念的に意義づけ、その場に自分が居合わせたことに感動するほかは無いかもしれない。

 もう1つのスカイツリー展望台からの見物に関しては、単に高いところから東京を見下ろすという目的であれば、↑の写真にもあるように、成田発福岡便に搭乗すれば十分に達成できるはずである。こちらのほうはおそらく、人間が造った世界一の電波塔に踏み跡を残すこと、あるいは、都心の最高地点にまさにいま自分自身が二本足で立っているという優越性?もしくはオンリーワンに価値を見出そうとしているようにも思える。それはそれで分かるのだが、スカイツリーに登るわけでもないのに、数十万もの人が関連商業施設にやってくる心理というのは私にはイマイチ理解できない。同じ味のする饅頭に「スカイツリー」の名前を冠してもそれだけで独自性が出てくるとは到底思えないのだが...。