じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§ 自然科学研究棟から眺める新緑の大学構内(3)

 一時避難先の研究室から眺める南側の景色。屋上からの眺めと同じ方位であるが、屋上が8階、研究室は5階であったため、今回の写真では、座主川沿いの森の向こうにある野球場、陸上競技場グラウンド、一般教育棟等は木々に隠されて見えていない。

 なお、この写真撮影後に鍵をすべて返却したため、今後この部屋に入ることはできない。眺めの良い研究室ではあったが、すぐ南隣の施設(何かの処理施設)の騒音があり、必ずしも最適とは言えない環境であった。



5月1日(火)

【思ったこと】
_c0501(火)社会と科学技術の関係(1)

 教養ガイダンス科目で、「社会と科学技術の関係」という話題を取り上げた。元ネタは、昨年秋に放送された、

NHK白熱教室JAPAN:「科学技術社会論」(大阪大学・小林傳司教授)

のうちの、英国BSE事件に関係する部分(第1回放送)であった。リンク先の番組記録にもあるように、そこでは、イギリスのBSE事件の事例をもとに、科学技術が不確実性を伴った見解しか出せない場面で、専門家をいかに集め、どのように社会的な意思決定をしていくべきかが議論されていた。

 当該番組の受講生は、学部学生ではなく、「理系・文系の枠を超えて集まった大学院生」であり、それぞれの専門性を反映した鋭い議論が展開されていた。

 いくつか気づいた点を備忘録代わりに記しておく。

 まず、当時の英国において、BSEが人間に感染するかどうか()、はっきりした証拠が得られない段階において、科学者や行政は、国民にどのような情報を伝えればよいのかという議論があった。このことに関連して、ある大学院生は「国民にちゃんと分からないと言えばいい。それが伝えられた上で、牛肉を食べるかどうかの判断は国民が選択する。食べた人が感染したとしても自己責任。 」というような発言をしておられた(あくまで、長谷川による意訳。)
]人間に感染した場合の病名は、BSEではなくて、vCJD(変異型クロイツフェルト・ヤコブ病、"variant Creutzfeldt-Jakob disease")となる。

 こうした、「選択権+自己責任」論というのは、自由主義社会ではしばしば主張され、いっけん正しい議論であるようにも思われてしまうが、いくつかの落とし穴があることにも留意する必要がある。これは、当時の英国ばかりでなく、福島原発事故以降の放射能汚染についても言えることであるが、「選択権」というのは国民に公平に与えられているわけでは決してない。
  • BSE感染の疑いのある牛肉と、そうでない牛肉
  • 放射能に汚染された農産物・魚介類と、そうでない農産物・魚介類
などが、行政側では一切規制されずに、スーパーの店頭に並べられた場合、当然のことながら、感染・汚染の疑いの無い食品のほうの値段は上がり、疑いのある食品は格安となる。その場合、どちらの食品を買うのかという選択権を行使できるのは、一定水準以上のお金持ちに限られる。いっぽう、収入の少ない人は、諸々の支出を節約するために、やむをえず、危険の疑いのある食品を購入することになる。その結果としてそれが原因で病気になった人を自己責任だと言うのは酷すぎるように思う。

 原発事故の警戒区域内に住むかどうかというのも同様であり、その中に住むか、別の場所に引っ越すかという「選択権」は、すべての住民が行使できる状況ではない。お金持ちや遠くに移り住んでも仕事ができる職種の人と、元の土地に戻らなければ仕事を続けることはできない農業従事者では立場が異なる。

 次回に続く。