じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  少し前から、津島キャンパスの北西端の塀のリニューアル工事が行われている。それに伴って、岡大戦跡の1つ、「鉄橋爆破訓練跡」の周辺の雑草が取り除かれ、全体が見渡せるようになった。ネットで検索したところ、この鉄橋爆破演習場跡地は、かつての輜重兵第17大隊・工兵第10大隊の跡地にあり、この土台に架橋し、これを爆破して破壊する訓練が行われていたという。

3月8日(木)

【思ったこと】
_c0308(木)「質的研究の来し方と未来:ナラティヴを巡って」&「人生心理学:イメージ画と語り」(16)やまだようこ氏の最終講義(5)「人生のイメージ地図」と「人生のカタチ」

 昨日の続き。

 最終講義の後半は、時間が限られていることもあり、主に「人生のイメージ地図」が取り上げられた。昨日も述べたように、これは、

●「あなたの人生(過去・現在・未来)をイメージして地図に描いてください。説明をつけ加えてください。」

という教示のもとで行われた研究であり、まもなく、

やまだようこ著作集

の第六巻として刊行されるものと思われる。

 スライド資料によれば、上掲の教示ものとで描かれ、語られるイメージ地図は、以下の8つの基本ストーリーに分類されるという。【説明部分は長谷川の解釈による】。
  1. Climbing Story (山登り):人生を山に喩え、頂上に登って降りる過程に焦点をあてている。
  2. Expansion Story (拡張):平面的な拡張として描かれる。
  3. Road Story (道程):ゴールに向かって進んでいく道程。
  4. Event Story (出来事):ライフ・イベントの記録
  5. Choice Story (選択):人生には無限に近い分岐点があり、そのどれもが違う人生を歩み、最後は死につながる。トーナメント表の一番上が出発点(誕生)で、いろいろな分岐点をたどりながら一番下のどこかにたどり着いて死を迎えるような図。
  6. Flow Story (浮遊、川の流れ):上流から下流に流されていくような図。
  7. Cycle Story (循環):リンゴの実がなり、採られずに地面に落ちて養分になる過程の一部として自分を位置づける。
  8. Being Story (居る):場所(トポス)に居る、居続ける、とどまる。何者かになる物語ではない。
 もっとも、この8通りがどういう基準で分類されたのか、また種々のバリエーションがあるにも関わらずなぜ8通りでよいのかについては、よく分からないところがあった。但し、大きく分けて、始まりと終わりがある図と、循環する過程の一部としてとらえる図という2通りがあることは理解できた。

 以上はまことに興味深い内容であったが、昨日も述べたように「あなたの人生(過去・現在・未来)をイメージして地図に描いてください」という教示では「地図」あるいは「Map」という言葉の意味の違い、大都会か大草原かといった回答者の生活環境の違いが大きく反映するようにも思えた。さらに、人生のイメージ地図といっても、
  1. さまざまな分岐点での選択に焦点をあてるのか?
  2. 選択したあとの努力の過程に焦点をあてるのか?
によって、描き方が変わってくると思う。前者であれば、Choice Storyになるのは必然であるし、いったん選択した後で、とにかくその道で頑張ってみたという過程に重きを置くのであれば、Cimbing Storyとなる。つまり、個々の課題についての努力はCimbing Storyであっても、もう少し長期的な職業選択や配偶者選択などはChoice Storyになる可能性もあり、一人が描く図が上掲の8通りのいずれか1つになるとは限らないようにも思えた。ま、とにもかくにも、やまだようこ著作集の第六巻を拝読してからでないと、正確なコメントはできそうにもない。

 ちなみに、もし私自身が「人生のイメージ地図」を描くとしたら、まず全体像としては、Choice Storyになるのではないかと思う。私の場合は、高校時代にかなり重大な分岐点があり、自分としては精一杯頑張ったものの願い通りには至らず、かなり不本意な形で大学に入学した。その後、転学部を経て心理学の道に進み、結婚、子育て、また趣味のほうではトレッキングや辺境旅行などを楽しみつつ現在に至っている。分岐点の大部分は、能動的な選択というよりは、Flow Storyみたいなところもあり、また、昨年11月15日今年の元日にも記したように、人生はしょせん、種々の行動の束のようなもので、何も無理して、過去から現在までの同一性を保たなくてもよいのではないかとも思っている。

 もし、タイムワープで高校時代に戻ってやり直しをすることになったとしたら、その時は、もっと自分を磨き、誠心誠意努力を重ね『天命を待つ』という生き方をするべきであったと反省はしているが、そうすると今と同じ人生は無い。けっきょく、どういう道を選んでも、何億通りもの進路の1つであり、それぞれ価値がある道であって、どれが成功でどれが失敗というものとは言えないようにも思える。

 あと、2月12日の日記のあたりで記した、「人生のカタチ」というのは、ここで取り上げられている「人生のイメージ地図」とは似て非なるものである。私が提唱する図解は、最初から、横軸は年齢、縦軸は(おそらく)できることレベルと指定した上で、その中に、継続的な諸活動を埋め込む形で描いていただくものであって、「人生のイメージ地図」のような自由度は全く無い。よって、人生観を探るものでもない。2月12日にも述べたように、
「人生のカタチ」や「諸活動の埋め込み」、さらに「複合的多項随伴性」という考え方だけで、当初の目的であるQOL評価・向上が100%達成できるなどとは思っていない。しかし、そういう見方を導入することは、十分条件ではないにせよ、必要条件にはなっており、この視点を欠いている限りは、QOLとか生きがいについての議論を深めることは決してできないであろう...
というのが趣旨であり、特に「十分条件ではないが必要条件」というところが強調したい点である。

 次回に続く。