じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  京大構内の雪像(1)考える人

 2月18日は午後は、京大・百周年時計台記念館で行われたシンポ・記念講演会に参加した。この日の京都は最大5cmの積雪があり、京大構内各所に雪像・雪だるまが出現した。

 写真は時計台正面に出現した「考える人」。もっとも、気温が上がったことと、構造上の脆弱さにより、15時半頃にここを通った時にはすでに頭部が崩落していた。

2月18日(土)

【思ったこと】
_c0218(土)QOL評価・向上のための複合的多項随伴性アプローチ(17)中期的分析(4)日常生活行動を儀式化せよ(3) 日常行動と生きがい

 昨日の続き。

 これまでの連載で、日常のありふれた諸行動を規則的な習慣として自動化し、日々実践することの意義について述べてきた。では、人はそれを行うだけで十分な生きがいを感じることができるだろうか?

 この問題は、その人の年齢、仕事、家族や社会との関係、宗教、趣味などと関係しており、単純にイエスかノーかという答えは出せないように思う。

 私自身は、歳をとったせいもあり、基本的な日常生活を続けること自体に意義も見出しつつある。また、2月16日にも述べたように、病気や災害や離別などによってひとたび非日常に遭遇すると、日常のありふれた諸行動がいかに有り難いものであるかに気づく。

 先日、NHKで、

天空の棚田に生きる 〜秘境 雲南〜

という番組を放送していたが、リンク先にもあるように、ここで暮らす人々は気の遠くなるような労力で山肌を耕し、潅漑の工夫をして、日々、棚田の保全、そして収穫作業を行っていた。そこでの自給自足の生活は、生きるために働き、働くために生きるという点で、まさに日常生活すべてが儀式化されているようにも見えた。

 いっぽう、現代の産業労働社会では、日常生活行動の繰り返しだけでは満足できないという人々が少なくないようである。マズローの自己実現理論がもてはやされるのも、そういう背景があるようだ。マズローの理論では、生理的欲求や安全の欲求は低次と見なされ、それらは必要条件として重視される一方、低次の欲求が充足されると、より高次の欲求へと段階的に移行するものと考えられている。この考え方は必ずしも実証されているとは言い難く種々の批判もあるが、自己実現を志向している人はしばしばマズローの名前を挙げて権威づけしているようにも見える。

 ま、若い世代の場合は、日常生活の繰り返しだけで満足しているようではせっかくの可能性をつぶしてしまうことにもなりかねない。『下流志向』などという言葉もあるようだが、人生のある時期には、積極的に自分を変えようという上昇志向も大切ではないかと思う。そういえば、この日記のタイトルの「じぶん更新」には、「毎日、きのうより更新された自分を作ろう」というような意味があったのだが、歳をとるたびに、更新が困難になりつつあるこの頃である。

 なお、この連載はしばらく中断し、20日からは、「多声対話シンポジウム・やまだようこ教授最終講義」について、メモ・感想を記す予定である。