じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2011年版・岡山大学構内の紅葉(22)葉を落としたポプラ

 岡大津島キャンパスの岡北中学との境界にあるポプラ。12月上旬にはきれいに黄葉していたが、27日には殆ど葉を落としていた。岡大構内ではポプラは珍しく、北の国を訪れたような雰囲気を味わうことができる。

12月27日(火)



【小さな話題】

早朝散歩時に火球を目撃

 12月27日の早朝、散歩から戻る途中で火球を目撃した。帰宅後に、日本火球ネットワークの掲示板にアクセスしたところ、すでにお一人の書き込みがあり、28日朝までに17名の方からの目撃情報が寄せられていた。なお、掲示板管理者によれば、この火球は岡山天体物理観測所のSkyMonitorにも撮影されており、5時51分17秒から15秒間のあいだに出現した模様である。私自身の書き込みは以下の通り。出現時刻は5時55分前後と書いたが、これは毎朝6時にお寺の鐘が鳴るよりも5分くらい前という当てずっぽうであり、実際には5時51分から52分頃であったようだ。
岡山市・岡山大学津島キャンパス構内。
西の空、プロキオンより低い位置から地平線とほぼ並行に左方向(南方向)に移動。人工天体より遙かに速い。
明るさは、イリジウム衛星の最大光度と同じ−8等級であったが、閃光ではなく、ほぼ同じ明るさのまま雪雲の中に消えた。 2個に分かれているように見えました。
上掲の掲示板で他の方も書いておられるが、この火球は、2個以上に分裂して併走するように見えており、はやぶさがオーストラリア上空で燃え尽きた情景と重なるところがあって感無量。

【思ったこと】
_b1227(火)日本質的心理学会第8回大会(32)実践としての身体(5)具体的記述と了解を往還する?質的研究

 3名の話題提供に続いて、砂上史子氏とサトウタツヤ氏からの指定討論があった。

 このうち砂上氏の指定討論は、

●「実践としての身体」を記述する研究のあり方について

というタイトルになっており、3名の話題提供内容を、「個別性・具体性」vs「一般性・抽象性」という比較軸に基づいて整理されていた。但し、身体は二項いずれかではなく、それらの裂け目・繋ぎ目にあり、質的心理学は身体をめぐる「境界(際)」を扱うというように論じられた。そのあと、積み木のおうちごっこの仲間に入りたいが「積み木を壊すからダメ」という理由で仲間外れにされている4歳児の動画に基づき、「個別性・具体性」vs「一般性・抽象性」の中身を具体的に指摘された。要するに、3件の話題提供の中では「個別性・具体性」は基礎づけ主義に、また「一般性・抽象性」は「脱身体化」というキーワードで特徴化できる。また、4歳児の動画では、前者は、身体の動きや言葉や物であり、後者は実践を理解する枠組みということになる。そして、前者の具体的記述と、後者の一般的理解や了解の「境界(際)」に「間身体性」や「間主観性」があり、具体的記述と了解を往還する記述が質的研究となる、というご趣旨であると理解した。

 もっとも、昨年の質的心理学会第7回大会で論じられた、現場の心理学はどこまで普遍性をもちうるのかという基調講演の際にも思ったところであるが、実際の質的心理学研究の論文の中で、具体的記述と了解を往還するような記述がどのように現れているのか、私自身はイマイチしっくりできないところがある。行動分析学であるなら、「一般性・抽象性」は行動随伴性やそれを取り巻く諸概念の体系であり、「個別性・具体性」は実際に観察される行動やその変化であるので、そんなことを窮屈に考えなくても十分理解できるのだが...。

次回に続く。