じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 12月23日は、京都・立命館大学衣笠まで出張。毎回、京都駅から立命館大学までの移動ルートで迷うのだが、今回は駅前で5分ほど待ってJRバス高雄・京北線に乗車。多少の渋滞はあったが40分ほどで立命館大学前までに到着した。

12月23日(金)

【思ったこと】
_b1223(金)日本質的心理学会第8回大会(28)実践としての身体(1)

 今回の学会の感想・メモは、初日から順番に連載せず、逆に一番最後のセッションから過去に遡る形で逆順に述べていく方針を貫いてきたが、いよいよ、いちばん後回しになった、11月26日(土)13時15分から15時15分に行われた委員会企画シンポジウム

●実践としての身体

の番となった。この日の午前中は私自身がポスター発表者であったので、これがこの連載で扱う最後のセッションということになるのだが、さすがに、シンポ当日から一ヶ月近く経過したこともあり、抄録集に書き込んだメモを見ても何のことだったか思い出せない部分が多い。

 話題提供者3名のうちの1番目は、哲学者の河野哲也氏であった。河野氏のお話は2010年の日本心理学会・指定討論の時にも伺ったことがあり、今回と一部重複しているところもあった。そのうちの1つに、巨大アリの話:
浜辺を歩くアリは、小さい障害物を避けるように歩く。しかし、もし巨大なアリが同じ場所を歩くことになったとすると、そのような小さな障害物を検出するほどの精度が無く、それらには殆ど反応しないので、歩行の軌跡は直線になるであろう。つまり、プログラム(心?)の働きは同じでも、サイズが違うと全く異なる行動をとる。逆に、サイズが違うにもかかわらず、「同じ」ふるまいをさせるには、内部プログラムを変えなければならない。
があった。

 もっとも、私自身のように学生・院生時代に動物実験をやっていてその後も行動分析学的アプローチを基盤としてきた者から見ると、浜辺を歩く時の軌跡が普通のアリとや「巨大アリ」で異なるのは、単に、浜辺の小さな障害物なるものが歩行の妨げになるかどうかの違いであり、外界の認知の違いであるとは必ずしも言えないように思える。昆虫の場合は、オペラント強化や弱化は適用されないが、脊椎動物一般であれば、何を弁別刺激として利用するか、何が好子や嫌子になるのかによって行動のパターンは当然変わってくる。外界の認知よりも外界との関わりを重視しているので、それほど不思議ではないように思える。

 我々を取り巻く環境世界というのは、我々とは独立して存在し、かつ、客観的な観察や操作が可能な対象であるとは思う。しかし、我々が関わっているのは、環境世界のごく一部であり、何に注目するのか、どのようにカテゴライズするのか、どうやって操作するのかということは、行為主体のニーズに大きく依存している。我々は世界をまるごと、そっくり認識しているのではなく、自分にとって利用価値のある部分や、有害で避けなければならない部分を、感覚や道具で把握できる範囲で認識しているに過ぎないのである。

次回に続く。