じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2010年版・岡山大学構内でお花見(80)岡大西門近くの百日草。

 9月27日の岡山は、最低気温18.4℃、最高気温26.2℃であり、14時すぎからはまとまった雨が降った。9月28日朝までの24時間積算雨量は49ミリに達した。

 この涼しさと雨のおかげで、8月の猛暑と少雨で弱っていた百日草が元気を取り戻しつつある。ここにあるのは背の低い品種であり、写真左は「ジニア・リネアリス」、写真右は「ジニア・プロフュージョン」と思われる。

9月27日(月)

【思ったこと】
_a0927(月)日本心理学会第74回大会(8)Embodied Psychologyに向けて(6)身体の哲学の観点から/まとめ

 ワークショップの最後は、新進気鋭の哲学者TK氏による「身体の哲学の観点から」という指定討論であった。

 9月22日の日記にも記したように、私個人がこのワークショップに参加した理由の1つは、TK氏のナマのお話をぜひ一度拝聴したいということ、また機会があれば、TK氏がいっけん徹底的行動主義に近いお考えを述べておられるにもかかわらずなぜかスキナーの文献を引用されていないという理由についておたずねしてみたい、ということにあった。 なお、お尋ねしたかった件については、ワークショップ終了後に、TK氏から直接情報をいただいたが、あくまでパーソナルコミュニケーションであったので、ここには記さない。

 TK氏はまず、心理学が依然としてデカルト的な発想から抜け出せない現状にあること、すなわち、二元論(心身分離)が暗黙の前提になっていること、認知中心主義の流れの中で、運動と認知の分離がなされてきたことを指摘された(←長谷川のメモと記憶によるため、不確か)。いっぽう、YH先生の「身体心理学」は、現代の心の哲学における身体性を重視し、現象学の不十分さを克服するという方向で評価できるというようなことを指摘された(←これも、長谷川のメモと記憶によるため、不確か)。このようにYH先生の目ざす方向は、TK氏ご自身の哲学と軌を一にしているようにも思われた。

 TK氏は次に、ミズグモ、キジラミなどの例を出して、身体と環境(ニッチ)の曖昧さを説かれた。また、環境は同じであっても身体のサイズによって行動が変わってくることの例として、巨大アリ型のロボットが浜辺の小さな障害物を検出せずにまっすぐに歩くというような話をされた。要するに、心というプログラムの働きは同じでも、身体のサイズによって全く異なる行動が生じるということだ。

 上述の件に関しては私も同感である。生まれ育った場所を何十年ぶりかで訪れてみると、急だと思っていた坂道がごく普通の緩やかな道であると知って驚いたとか(←自分自身の身体のサイズが変化したことによる驚き)、いつも車で通っていた道を歩いてみてもの凄く広い世界であるように感じた(←移動手段、速度の違いがもたらす空間の広さ)、などは私自身も何度か体験している。

 TK氏はさらに、コーネル大学で開発されたという受動歩行機械に言及された。バランスを取るための制御装置などがついていない、比較的シンプルな構造であるにもかかわらず、あたかも下半身が歩いているように見えるのだという。要するに、この種のロボットでは、中枢のコンピュータの性能やプログラムではなくて、機械そのものの構造や材質がモノを言う。けっきょく、「心」というのは、サイズや材質やモルフォロジーをもった身体を動かす、まとまり全体として理解することができる。

 指定討論の後半では、
  • 「ヴェラスケスの侍女たち」(ラス・メニーナス(女官たち) (Las Meninas) )という絵画において、巧妙に描かれた登場人物の視線によって、鑑賞者自身があたかも絵の中に居るような錯覚に陥るという事例
  • 「内面性」は表情を隠すことと言われるが、表情の普遍性が無ければ存在しえない。
  • ロボットと女性性
などの話題が取り上げられ、身体の動きを、環境、表情、対人関係、道具と改変環境、ジェンダーなどと結びつけて研究することがこれからの課題になるということで、討論を締めくくられた。




 以上をもって、このワークショップについてのメモ・感想は最終回とさせていただく。かつて行動主義が隆盛を極めていた頃には、行動主義は意識なき心理学であると揶揄されることが多かった。ところが、その後、認知中心主義が主流になってくると、今度は、行動は、認知変容の検証ツールとしてしか注目されないといった「行動なき心理学」、「身体なき心理学」がまかり通るようになった。また、TK氏がご指摘されているように、その根底には、依然としてデカルト的な発想がある。YH先生の提唱されているEmbodied Psychology(あるいは「Embodied Mind」)は、こうした、身体なき心理学を克服する方向の1つとして、今後の発展が大いに期待されると思う。



次回に続く。