じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2011年版・岡山大学構内の紅葉(8)時計台前のモミジとアメリカフウ

 毎年この時期に見られる岡大随一の絶景。過去の記録は以下の通り。 日付から分かるように、今年の秋は紅葉が遅い。

11月30日(水)

【思ったこと】
_b1130(水)日本質的心理学会第8回大会(5)「個性」の質的研究(4)「個人差変数の花束」という議論

 少々脱線して私の考えばかりを述べていたが、ここで、元のシンポのメモ・感想に戻る。

 このシンポではまず、企画者の渡邊氏から企画趣旨が説明され、続いて、個性と個人差の違いについての言及があった。これまでの心理学では、個性と個人差は同じもの、つまり、ある個人差変数次元上で個人の序列が個性と見なされる風潮があった。この視点では、個人は個人差変数の花束にすぎず、それぞれの個性の構造は無視されてしまう。これに関連して、AKB48の上位8人の顔を平均化・合成してみると超絶美少女になるという事例が紹介されていたが、あれはむしろ、
8人それぞれは個性的で魅力があるが、8人を平均化・合成してしまうと、ごく平均的な若い女性になってしまって、特別に美女というような風貌にならない。つまり、「美女」というのは、美女を構成する諸変数の和ではなく、諸変数の外れ値が構成する個性から生まれる。
というように主張すべきではなかったかと思う。であるからして、合成された顔が超絶美女ではなく、何の変哲も無いありふれた顔になるというように議論されなければならないように思った。もっとも、私自身は、芸能界には全く関心がなく、AKB48なるグループを見たこともないし、そもそも、最近まで「AKB48」は「アキバ ヨンジュウハチ」と発音するのかと思っていたくらいなので、事例として示されて何かを主張されてもピンと来ないところがある。

 とにもかくにも、個人差変数や変数間の関係の研究では、大きなサンプルとランダムサンプリングにより、量的方法かつ推測統計学を利用した分析が行われ、

●個に特有の構造、環境・文脈、時間の流れ

は誤差として統制されてしまう。この視点を転換し、「個に特有の」から個性をとらえるためにどのような研究がそれにあたるのかという議論を深めていきたいというのが今回の趣旨であるようだ。

 この企画趣旨には私も基本的に賛成である。じっさい、私のところの卒論研究・修論研究でも、いくつかの既成の尺度と新たに付け加えた質問項目で調査を行い、変数間の関係性を分析する学生が多いのだが、
  • このタイプの研究から導き出される結論は、しょせん「○○の傾向の高い(低い)人は、××という傾向がある」というような相関分析に過ぎない。
  • 手法によってある程度の因果性が示唆されたとしても、それは操作可能な独立変数とは対応していないため、何かを変えるという力を持たない。そういうことを何十年も繰り返し、モデルの改変に明け暮れるという傾向は皆無とは言えない。
  • さらに言えば、この種の研究ではたいがい、心理学講義等の受講生が調査協力者になっている。卒論のような教育訓練ならともかく、研究者たる大学教員が、自分で担当している授業の受講生に、授業時間の一部を割いてデータを集めたとしても、ランダムサンプリングとは到底言えない。しかも、極端に不安傾向の高い人などは授業には来られないので、「○○という傾向が高い人と低い人の2つのグループに分けて...」という形で分析したところで、わずかの差を競い合う「どんぐりの背比べ」(ここでは、みんな似たり寄ったりであって、少しの差があっても本質的には殆ど差がないという意味)に終わってしまうことが多い。
というような問題点が残る。

 では、個性の質的研究のほうがよいかというとこれまた問題である。前回までですでに述べたように、「個に特有」ということを主張するためには、集団の成員に共通の特性、あるいは、多数派の特性が何であるかということを同時に調べなければならない。もちろん、通りすがりにたまたまぶつかった人を対象にしても、その人の個性は分かるが、そこで調べたことがその人に固有であるという保証はないのである。ではどうやって研究対象を絞り込むのか、単なる偶然にゆだねるのか、手当たり次第に当たってみて、結果としてその中から探り出していくのか、いずれも、多大な人的、時間的、金銭的コストを要するように思える。

 そのコストを避ける方法の1つとして、世の中で現実に起こってしまった特殊な事件に焦点を当てるということもありうる。但し、事件が特殊であるというだけでは、それが「個に特有」なのか、全くの偶然の重なりなのかは断定できない。

次回に続く。