じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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2011年版・岡山大学構内でお花見(67)旧・事務局棟近くのポーチュラカ(花スベリヒユ)。

 この場所には以前はガザニアが植えられていたが、今年の初夏、農学部学生のボランティア?(もしくは実習の一環?)の人たちの手によって、ポーチュラカ花壇に変身した。自前の苗でコストがかからないせいか、花屋さんで1株298円くらいで売られている変わり咲き種もちらほら見かける。

 旧・事務局棟とこの花壇のあいだには通常はたくさんの車が駐められており、建物と花壇のツーショットを撮ることは困難であるが、撮影日の8月14日は、お盆の一斉休業期間であったため昼間でも1台だけしか駐められていなかった。(早朝は1台も駐まっていないことが多いが、ポーチュラカのほうがまだ花を閉じていてツーショットにならない。)

8月15日(月)

【思ったこと】
_b0815(月)2011年版・高齢者の心と行動(47) ダイバージョナルセラピーワーカー・フォーラム2011(10)理事長による基調講演(10)レジャーの役割(2)

 昨日の日記でも述べたように、「レジャー」についてはいろいろな見方や議論があり、言葉が一人歩きしてしまうと、それを享受する側とサポートする側で齟齬が生じる恐れもある。

 本題から脱線するが、ここで、ウィキペディアの当該項目を引用しながら、「レジャー」の概要について、私なりの考えをまとめておくことにしたい。【緑色部分が引用、青字部分は私の考え。
  • 日本におけるレジャーとは、シンプルな定義は余暇と同義で『仕事や毎日の家事以外の時間』のこと、または自由時間。しかしながら、英語でも広告宣伝などで目にするleisureはアクティブな自由時間のすごし方を表すことも多く、日本語としてのレジャーも
    1. 産業界・広告界の影響
    2. 余暇という別の用語が存在すること
    から、英語以上に、積極的な活動をおこなう自由時間のすごし方を示すことが多い。1960年代の高度経済成長期以後、英語のleisure(レジャー)が余暇として紹介されたところにはじまっている。
     行動分析学的に再定義されるレジャーとは、「好子出現による強化の随伴性のみで強化されている」ことを必要条件とする行動。もしくは、「嫌子出現阻止」や「好子消失阻止」といった「阻止の随伴性」に晒されない状況にあることを意味していると私は考える。阻止の随伴性に晒されていないということは、当該の行動を途中で止めても、平穏な生活維持の上では何の支障も起こらないことを意味していると言ってもよい。例えば、「釣り」という行動は、無人島に漂流した者にとっては、食料を調達するための重要な手段となっており、「釣りをして魚を獲得しなければ餓死してしまう」という阻止の随伴性によって強化される行動であるためレジャーとは言えない。しかし、食べ物が不自由なく手に入る人が、趣味として釣りを行う場合は、阻止の随伴性は関与せず、釣りを止めて魚が獲れなくても何も困ることはない。こういう人にとっては「釣り」はレジャーということになる。
  • レジャーのタイプレジャーには積極的(active)なレジャーと受動的(passive)なレジャーがある。
    積極的レジャー(アクティブレジャー) 自ら望んでエネルギーを消費する。軽微なものではウォーキングやヨガ、激しいものではキックボクシング。アクティブレジャーはレクリエーションとかなりの部分で重なる。
    受動的レジャー(パッシブレジャー) 消費したエネルギーを回復する。シンプルなのはのんびりすることや、なにもしないこと。ほぼ寝ている状態に近い。これを時間の浪費と評する向きもある。楽しくなければ飽きてしまうこともある。道徳的でないと評されることもあるが、賞賛する人もいる。その他これに含まれるものとして動機付けや習熟を要するもの、また、年齢やライフスタイル、各人の好みが反映されるものがあり、映画やギャンブルなどがあてはまる。
    この分類は、一口に言えば、ドーパミン系の喜びと、セロトニン系の癒やしの違いではないかと思われる。どちらも必要な要素であるが、どちらに重きを置くのかは、その人のライフスタイル、仕事の内容などによって異なる。日々多忙に動き回っている人は、それ以上に行動してもくたびれるだけであり、受動的レジャーを好むであろう。いっぽう、お金持ちで、ヒマをもてあましている人の場合は、積極的レジャーに生きがいを求めざるを得ないところがある。

 次回に続く。