じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月14日の日記に、岡大・一般教育棟構内のヴィーナス像前で開花したチョウセンアサガオの写真を掲載した。この付近は講義棟に向かうメインストリートにもなっているのだが、連休中は清掃作業が行われないこともあって、ゴミの散乱が目に付く。一番の原因は、弁当の食べ残しなどをそのままゴミかごに捨てる人が居ることにある(←本来、持ち帰りが原則)。写真にも写っているように、カラスがそのゴミ袋をつまみ出して中味をトコトンあさるのでこういう風景になってしまう。

 なお、少し前からヴィーナス像の足下には一升瓶が放置されている。いくらカラスでも重い瓶を足下まで運ぶことはできない。これは悪ふざけと思われるが、池を飛び越えてどうやって瓶を運んだのかは謎である。


7月17日(日)



【小さな話題】

なでしこジャパンよりコパアメリカ?

 各種報道にあるように、7月18日早朝(日本時間)に行われたサッカーの女子ワールドカップドイツ大会決勝で、日本はペナルティーキック戦の末、アメリカに勝って初優勝を果たした。大震災や原発事故の暗いニュースが続く中での快挙であり、心からお祝いを申し上げたいと思う。

 この試合の模様は、NHKのBS1で生中継されていたようだが、NHK総合のほうは同時間帯は

●コパアメリカ2011〜サッカー南米選手権−準々決勝−ブラジル対パラグアイ

を中継しており、なでしこジャパンの活躍の様子を応援することは全くできなかった。

 なでしこジャパン中継については放送権料などの問題が絡んでいるようにも見えるので中継できなくてもやむを得ないかもしれないが、とにかく、公共放送の中核をなすNHK総合が、この時間帯を海外のサッカー試合の中継にあてているというのは全く納得がいかない。せめて、接近しつつある台風6号関連のニュースを取り上げるべきであった。




アニメ『海がきこえる』と、高校の同窓会

 7月15日に日本テレビ系で放送され、HDDに録画しておいたスタジオジプリ作品

海がきこえる

を観た。

 このアニメは、金曜特別ロードショーとして放映された『ゲド戦記』とセットで録画予約されていたものであり、ダビング編集の際に消去してしまおうかと思っていたところ、高知市や東京都内の懐かしい風景が描かれていて、ダビングして保存することに決めた次第である。

 記録をとっていないので不確かであるが、私自身の場合、四国の4県庁所在地の中では、高知市を訪れた回数は最多、もしくは高松市の次に多いのではないかと思う。ロケ地(アニメで描かれている場所を含む)の1つとされる五台山は3回訪れたことがある(但し、うち2回は、牧野植物園のみ)。高知市内のアーケード街も知っている。また、東京の各所も、よく知っている場所ばかりであった。

 ストーリーについては、妻は「何が面白いの?」と言ってあまり関心を示さなかったが、私自身はまあまあだと思った。但し、恋愛と結婚はまるっきり違う。恋愛には恋愛だけの感動があるが、結婚というのはあくまで生活だ。

 そう言えば、少し前に、高校の同窓会の案内があったが私は欠席した。卒業したのは1971年であったから、出席すれば40年ぶりということになる。『海がきこえる』でも、卒業から数ヶ月後に開かれた同窓会のシーンがあるが(←それゆえ、高校生・未成年者の飲酒・喫煙が見られるとして一部から批判されている)、ま、飲酒・喫煙は論外として、再会するならせめて20歳代後半までの間がよい。1971年の卒業生が40年後に再会したところで、みな58〜59歳。熟年恋愛も無いとは言えないが、いまさら関係修復や、やり直しができる年齢ではない。

 もし40年後の同窓会に出席したとしたら何を感じただろうか。当時あまり仲がよくなかった人も、片思いや失恋の相手も、すべて、その後の人生に何らかの影響を及ぼしていたことは間違いない。けっきょく、私たちの、今ある人生というのは、決して運命や必然性で定められた一本道でも何でもなくて、何億通り、何兆通りの可能性があった道の中で、結果としてそうなった一本にすぎない。高校時代の出来事がちょっとだけ違ったように展開していれば、その先の人生もまるっきり変わっていたということはいくらでもあり得ることだろう。

 同窓生を実名でネットで検索すると、何人かの人の活躍ぶりを知ることができるが、そこに掲載されているお写真を含めて卒業後40年を経たお姿は、高校卒業時とは全く別人になってしまっているように見える。同窓生が40年後に別人になってしまったことを実感することで、実は自分自身も40年前からはまるっきり違う人間になってしまっていること、環境や記憶が少しずつ連続的に変化しているために自己は同一であると錯覚しているだけで一貫性とかアイデンティティというのは社会的に構成されたものにすぎないことに気づくことができるのであれば、同窓会に出るのもそう悪くはないとは思う。今回はキャンセルしたが、卒業50年後あたりなら出席してみてもよいかなあとは思う。(但し、その時の年齢は68〜69歳。あくまで健康であれば、の話。)