じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 岡大東西通りにある謎のお墓(?)

 5月31日の日記で、岡大七不思議の1つ「岡大観音」の謎が解けたという話題を取り上げたが、岡大の東西通りにはもう1カ所、墓石と思われるお地蔵さんがある。左側面には「往年五十二歳」、裏面には「昭和五十年三月二十二日没」、右側面には戒名が刻まれており、生花が供えられていた。

 岡大の東西通りは公道であり、その歩道の一角、しかも車の往来の激しいところになぜ墓石がたてられているのかは大きな謎である。

6月7日(火)

【思ったこと】
_b0607(火)日本ダイバージョナルセラピー協会2011年度総会・講演会(3)長寿社会における高齢者文化力の活用を探る(1)

 芹沢隆子・理事長の講演に続いて、永松敦氏(宮崎公立大学、民俗学)による、

長寿社会における高齢者文化力の活用を探る

という特別講演が行われた。

 講演ではまず、「老い」という言葉には「生い」に通じるところがあり、還暦のお祝いで赤いちゃんちゃんこを着るのは、赤ちゃんに再生するというような意味があるというようなお話があった。また、還暦は、十干(じっかん)と十二支の最小公倍数に由来しているが、十干の「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」は、道教・陰陽五行説の「木火土金水」にそれぞれ兄(え)と弟(と)がついて5×10となっているというご説明があった(ウィキペディア参照)。私自身は十干のうち「甲乙丙丁」までは知っているが、そのあとは全く記憶できていない。但し、「木火土金水」を「き、ひ、つち、かの、みず」と読み、これに「え」と「と」をくっつければ、読み方だけは十干全部を順番に発音することができそう。あと、1966年の丙午・出産率減少に関しては、丙午はもともと、ひのえ=「火の兄」なので、いちばん火災がおこりやすい年なので気をつけましょうという意味であったのが、八百屋お七が丙午の生まれだといわれていたことなどから、江戸時代以降に迷信として偏見が形成されたとのことである(以上、長谷川の記憶に基づくため不確か)。

 さて、本題の高齢者の話題に戻るが、永松氏によれば、介護という言葉は、1987年の介護福祉士法から一般化したものであり、それ以前に刊行された広辞苑第2版などでは、この言葉は収録されておらず、戦前に軍隊で使用されたほかは馴染みが無い言葉であったらしい。なお、ウィキペディアでは
日本で「介護」という言葉が法令上で確認されるのは、1892年の陸軍軍人傷痍疾病恩給等差例からであり、介護は施策としてではなく、恩給の給付基準としての概念であった。「介護」という言葉が主体的に使われるようになったのは、1970年代後半からの障害者による公的介護保障の要求運動からである。それ以前の「『障害者の面倒を見るのは親がやって当り前』という社会の考え方からでは障害者は施設に追いやられる」という危機感からそのような運動が発生した。
というように説明されていた。また『新明解』では「介抱看護」に由来するとも記されていた。

次回に続く。