じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2011年版・岡山大学構内でお花見(46)カボチャ畑

 農学部農場の一角にあるカボチャ畑。まもなく、葉っぱの間に大きなカボチャが出現する見込み。


6月6日(月)

【思ったこと】
_b0606(月)日本ダイバージョナルセラピー協会2011年度総会・講演会(2)

 昨日の日記の続き。

 ダイバージョナルセラピーの定義は、日本ダイバージョナルセラピー協会の公式サイトのTop画面に記されている通りであり、具体的な1つのセラピー・療法ではなく、思想と実践についての基本的な考え方を示す内容となっている。
ダイバージョナルセラピーとは、各個人が、いかなる状態にあっても自分らしくよりよく生きたいという願望を実現する機会を持てるよう、その独自性と個性を尊重し、援助するために、「事前調査→計画→実施→事後評価」のプロセスに基づいて、各個人の“楽しみ”と“ライフスタイル”に焦点をあてる全人的アプローチの思想と実践である。

オーストラリア・ダイバージョナルセラピー協会のPeggy Skehan氏は「DTをひと言で言うと?」の問いに次のように答えました。 ダイバージョナルセラピーとは、朝、ベッドから起き上がる理由をもてるように手助けすることである。

さらに、オーストラリア・ダイバージョナルセラピー協会はそのVisionで宣言します。 ダイバージョナルセラピーとは、クライエントを中心にした実践であり、各個人が、その人にとって価値のあるレジャーやレクリエーションを経験することは、その人の能力とは関係なく、すべての人に与えられた権利であると認める。
 その骨子は、
  • その独自性と個性を尊重
  • 「事前調査→計画→実施→事後評価」のプロセス
  • 全人的アプローチ
の3点にあると私自身はとらえている。また、セラピストの役割は、
ダイバージョーナルセラピストは、人間としての行動や機能を理解したうえで、一人一人のQualilty of Lifeを高めるために、レジャーに参加することによって得られる多様な成果を利用する。
とされている。今回の芹沢隆子・理事長の講演の中でも、スポーツ選手が競技のあとで「楽しめた」と語っている例などが挙げら、また、レジャー憲章(1970年、国際レクリエーション協会)の一節が引用されていた。

 少し前から始めている連載(初回は5月26日、まだ執筆継続中)で「喜びに低級や高級の区別は無い」という話題を取り上げているところであるが、レジャーをどう捉えるのかということは、この連載と大きく関わっている。ある人は、修養や自己犠牲的社会貢献こそが高級な喜びをもたらし、個人主義的なレジャーは低級であると説くかもしれない。また、ある人は、レジャーは人間にとって必要なものであるが、人間はレジャー以外のところに「本務」を持つべきであり、本務を健康的に遂行するための休養的手段としてレジャーが必要であると説くかもしれない。さらに、別の人は、若者はレジャーをほどほどにして大いに努力し大いに働くべきであるが、引退した高齢者にはできるだけ楽をしてもらって、レジャーに生きがいを求めていただくべきであると主張するであろう。

 私自身は、労働とレジャーの間には、どちらが高級でどちらが低級というような区別は無いと考えている。但し、それぞれの社会においては、必要とされている仕事があり、その使命を果たすことは必要である。また、現実問題として、他者に何のサービスも提供せずに、個人主義的な楽しみだけを追求するということは、貴族か大富豪にでもならない限りは不可能である。労働の場合、その行動は部分的に「好子消失阻止の随伴性」によって義務的に強いられる部分があるが、より大きな入れ子が全体として好子出現による強化の随伴性で維持されている限りは大きな働きがいをもたらす。いっぽう、レジャーの場合も、単線的・断片的な好子出現ではなく、階層的で長期的な強化システムに組み込まれるように強化されていったほうが、長続きするし、大きな生きがいになるはずである。

 DTの定義の中にある“「事前調査→計画→実施→事後評価」のプロセス”はきわめて重要であるが、短期的な成果ばかりに目をむけてはいけない。そのことこそが「全人的アプローチ」と関係してくるのである。

次回に続く。