じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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台風2号とそれから変わった温帯低気圧の影響で5月29日、岡山県岡山には大雨警報が発令された。雨は5月30日の午前02時ころまで降り続き、27日午後から降り始めた積算降水量は104.5ミリに達した。5月1日から5月30日朝までの降水量はなっなんと303ミリに達している。平年値は、5月が125.0ミリ、6月が171.5ミリなので、今年の5月ひと月分の降水量303ミリだけで、平年の5月と6月を合わせた296.5ミリを超えてしまった。6月の雨量がどうなるかは不明だが、少なくとも水不足の心配は無さそうだ。四国・早明浦ダムの貯水率も100%を維持している。

写真は、5月29日昼頃の大学周辺の風景。
  • 左上:岡大西門から見た座主川。水位は取水口で適切に調整されているようだ。
  • 右上:座主川沿いの遊歩道も水浸し。
  • 左下:文法経東側の道路も水浸し。
  • 右下:文学部西出入口にはカタツムリも出現。



5月29日(日)

【思ったこと】
_b0529(日)2011年版・高齢者の心と行動(10) 喜びに低級や高級の区別は無い(3)行動内在的強化と付加的強化の違いは本質的ではない

 5月27日の日記では、個人の生活空間(←とりあえず、社会的評価と独立させて考えてみよう、という意味)において、「どういう行動は好ましくないか」という思考実験を行うことを提案した。しかし、単に「好ましくない行動」を取りやめるというだけでは死んだ人と変わりはない。次のステップでは、もう少し能動的な行動について考えてみよう。すなわち、行動することによって得られる喜びには少なくとも次の2通りがあるが、その違いはどこから生まれるかという問題である。
  • その喜びが持続し、さらに大きな喜びとして膨らんでいく場合
  • 短期的な喜びは得られるが、何か虚しさを感じたり、葛藤に陥ったり、物足りなさを感じる場合

 これらの違いは、決して行動自体にあるのではない。また、得られる結果の中身にあるわけでもない。まさに、行動随伴性の構造が両者の分かれ目をもたらしているのである。

 このWeb日記でも何度か書いたことがあるが、以前私は、その違いは、単純に行動内在的強化の随伴性と付加的強化の随伴性の違いにあるのではないかと考えていた。例えば、労働の喜び(働きがい)を考えた場合、
  1. 行動内在的強化の随伴性:工芸職人が作品を完成する喜びや、農家が野菜を育てる喜びのように、行動によって自然に随伴する結果で強化されること。
  2. 付加的強化の随伴性:労働に対して第三者が報酬を付加すること。完成や達成や自己の貢献が見えてこない、賃労働。
というように2通りあり、真に働きがいを感じるのは1.であるという主張である。スキナーの1979年講演録にも似たような言及があり、少なくとも、生きがいの必要条件の一部にはなっているとは思うのだが、その後、少々、異なる考えを持つに至ってきた。すなわち、本質的な違いは、行動内在的か付加的かというところにあるのではない、決め手は、その行動が、どれだけ長期的で複合的で重層な随伴性によって強化されているのかということにあるのだという考え方である。これはまた、上述の、持続的な喜びか、短期的で虚しさを感じる喜びなのかという問題の決め手にもなっており、目的論的行動主義に立つ考え方とも言える。

 例えば、シャベルを使って地面に、直径50cm、深さ50cmの穴を掘るという行動を考えてみる。1つの穴を掘るたびに100円の賃金がもらえるとすると、その行動は、賃金を得るという付加的強化随伴性によって強化されるであろうが、たぶんそれだけで働きがいを得ることは難しい。しかし、もしその穴が、植物を植えるためであったり、小屋を建てる土台のための穴であったとするなら、その人にとって持続的な喜びをもたらすことになるであろう。それは決して、行動内在的好子が随伴するからではない。より長期的な結果(植物の成長や小屋の完成など)と連関し、その構成要素の1つとして穴掘りをしているからこそ働きがいになるのである。また、いま、100円の賃金では働きがいにはなりにくいと言ったが、これは、ある程度の収入を維持できる人がアルバイトとして働く場合の話である。非常に貧しい国に住む人が、100円の賃金によって家族を支え、子どもの将来のためになるような形でお金を使うことになるのであれば、賃金労働、つまり付加的強化随伴性であっても十分に働きがいになるはずである。

 次回に続く。