じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2011年版・岡山大学構内でお花見(40)キリシマツツジ(2)

 昨日に続いて、キリシマツツジの写真。
 写真上は、岡大・東西通りの「レッドバンド(赤い帯)」。「半田山のイエローバンド」に対応してそのように名付けてみた。

 写真中段は、一般教育棟のC棟とD棟の間にある「教養部」石碑を囲むキリシマツツジ。なお、教養部は1994年に廃止されている。

 写真下は「教養部」石碑を北側から眺めたところ。石碑左手の芝地は、C棟とD棟を結ぶ最短通路化していたが、今年に入ってから「安全第一」の看板が設置された。芝地の保護にはなるが、少々、景観を害しているように見える。

 なお、上述の「安全第一」の看板の呼称と価格をネットで調べてみたところ、こちらでは「バリケード看板(反射タイプ):品名A型バリケード」として枠+看板セットの特別価格(税込み) 7200円で売られていることが分かった。気が向けば室内インテリアとして購入することもできそう。


5月25日(水)

【思ったこと】
_b0525(水)2011年版・高齢者の心と行動(7) 行動を活発にして、喜びを獲得する仕組み(5)どういう行動がどういう形で強化されることで最善と言えるのか

 昨日の日記でも述べたように、スキナーの生きがいの定義「能動的に行動し、かつその行動が強化されていること」についての議論は、強化理論を認めるか認めないかという立場によって大きく異なる。そして、強化理論を認めるという立場に立つのであれば、

●スキナーの主張は正しいかどうか

という議論よりもむしろ、

●どういう行動がどういう形で強化されることで最善と言えるのか

という形で議論していったほうが生産的であるように思う。では、強化理論を認めない立場はどうするのかという余地が残るが、こういう議論はもはや、論理的な真偽判断や証拠に基づく検証というようなレベルで決着するとは思えない。強化理論を認めるかどうかは、最終的には、それが(もしくはそれに対抗する理論が)どれだけ人間社会に受け入れられ、有効に機能しているかどうかに依存しているように思う。じっさい、現代社会は、政治経済社会一般における調整や改善は、好むと好まざるとに関わらず、強化理論(援助、奨励金、減税優遇、刑罰、人気、宣伝、...)に完全に依存しており、強化理論を知らない人たちであっても、経験に基づいて結果としてその原理を応用しているように思われる。

 であるからして、スキナーの生きがいの定義「能動的に行動し、かつその行動が強化されていること」を受け入れたとしても直ちに生きがいが獲得されるわけでもなく、また幸福社会の設計プランが確立するわけではない。リバタリアニズムがどうだ、コミュニタリアニズムはどうだ、といった議論も、スキナーの主張は正しいかどうかと関連づけて行うよりもむしろ、それを受け入れた上で、どういう行動をどういう形で強化していくべきかという高次の段階の議論として進めるべきであると私は思う。

 とはいえ、社会全体のあり方を議論することは、この連載のテーマからはあまりにも脱線しすぎる。このあたりで、高齢者個人における「心と行動」の問題に戻ることとしたい。


 次回に続く。