じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2011年版・岡山大学構内でお花見(26)南極の岩の前に生えるマツバウンラン

 大学構内各所でマツバウンランの花が目立つようになってきた。写真は、一般教育棟C棟入り口横に展示されている「南極“蜂の巣岩”」前に咲くマツバウンラン。南極の岩の前に咲くマツバウンランは世界広しといえどもここだけかもしれない。さっそく、マツバウンラン愛好会に報告させていただいた。

 マツバウンランは大学構内各所の空き地に群生しているが、どの場所に広大なお花畑ができるかは年によって異なる。その空き地の利用状況や芝刈り、除草剤散布などの影響を受けるためである。2010年春は、私の知る限りではこちらが最も規模が大きかった。

4月16日(土)

【思ったこと】
_b0416(土)今回の大地震について思ったこと(20)海産物の安全性/海は巨大はゴミ捨て場ではない、崇拝すべき生命の源だ

 例によってNHKオンラインの見出し項目を掲げておく(4月17日早朝の時点)。
  • 汚染水を原子炉に戻し冷却へ
  • 沖合で基準の4倍の放射性ヨウ素
  • 福島の公立学校 線量計配布へ
  • 仮設住宅建設 外国メーカーも
  • 会計士協会 市町村事務支援へ
  • サケふ化場被害で放流に影響
  • ムバラク政権与党に解散命令


 さて、最近のニュースで、放射能汚染のため政府の指示で出荷制限の指示が出されていた野菜類、原乳、あるいは県から自粛要請されていた魚介類などが、基準値を下回ったことなどを理由に制限解除となり、関東方面の市場に出回るようになったという。  これらはいずれも関係者にとっては明るいニュースであり、基本的には、これ以上風評被害に惑わされず、これまで通りに流通・消費していくことが復興につながるとは思う。




 もっとも、海産物についてはイマイチ不安をぬぐいきれないところがある。

 まず、上掲の沖合で基準の4倍の放射性ヨウ素というニュースにもあるように、海では引き続き放射能汚染が拡大しており、たまたま採取したサカナの測定値が基準値を下回ったというような情報だけで安心してよいものか不安になってくる。しかも、一口に放射能といっても、ヨウ素131、セシウム137、プルトニウムといったように、半減期や体内への蓄積のしやすさが異なっており、測定に時間を要するものもあるという。出荷された魚介類全品について、かつあらゆる放射性物質について検査しているわけではない。心理学の研究では、少数のサンプル(調査対象)からの過剰な一般化がしばしば議論になるが、魚介類だって相当の個体差(測定値のバラツキ)があるのではないか。

 さらに不安に思うのは、産地が特定しにくいという問題である。サカナはそれ自身回遊する種類もあるほか、沖合漁業や遠洋漁業など多種多様であって、特定漁港で水揚げされたされたサカナが、その漁港の付近の放射能汚染とは必ずしも相関しないという問題がある。以前、瀬戸内海の豊島の産廃汚染が問題になっていた頃、「豊島近辺の海では魚がたくさん獲れるが、「香川県側の市場に出すと安全な魚であるにもかかわらず“豊島産”として敬遠される。同じ魚を岡山の漁師が獲って岡山の市場に出せば...」という声が聞かれたことがあったが(1999年7月11日の日記)、今回の場合も、例えば外国漁船が福島県沖で漁をして、「○○国産」として出荷したら見分けがつかない恐れがある。

 ま、そういうことを言い出せば、日本海で獲れた魚介類だって対岸諸国から流れ着く大量の廃棄物や秘密主義の旧ソ連時代に沈没したかもしれない原潜などで相当に汚染されているかもしれないし、東シナ海方面の海も、中国の工場から排出される有害物で汚染されているかもしれない。もしかすると、唯一安全と思われるのは、南大西洋や南太平洋の海産物ということになるかもしれない。




 ま、それはそれとして、諸悪の根源が、放射能を海に垂れ流し続けている原発にあることは間違いない。日夜、命がけで作業にあたっておられる現地作業員の方々には本当に頭が下がるが、部下の報告メモを読み上げる程度で時に笑みさえ浮かべる政府関係者、あるいは、原発推進の立場に立つ御用学者などの発言を聞いていると、いったい、海というものをどう考えているのか、単なるゴミ捨て場程度にしか思っていないのではないかという気がしてならない。

 言うまでもなく、海は地球上のすべての命の源である。海があればこそ酸素が作られ、魚類から両生類、は虫類、ほ乳類、...そして人類が誕生した。まさに、創造の神そのものである。いくら緊急事態とは言え、そこに放射能に汚染した水を一滴でも垂れ流すということは、神社本殿や教会のキリスト像に向かってツバを吐きかけるような行為であると言わざるを得ない。そうした冒とく行為は、いくら詫びても詫びきれないはずなのに、幹部たちは口をそろえて「この程度なら健康には被害がない」、「自然に浴びる放射能と大差ない」などと言い訳をする。

 この日記でも何度か書いたが、「この程度の汚染なら大丈夫です」などというのは加害者や政府関係者が口にすべきことではない。もちろんパニックを抑える必要はあるとは思うが、そういう発言は、相手に暴行を加えておいて、この程度の怪我なら命に別状ありませんと言っているの同型と言わざるを得ない。

 「この程度なら大丈夫ですよ」というのは、創造の神である海そのもの、あるいは今回の汚染の被害者が、加害者を許してやろうという気になった時に初めて出てくる言葉でなければならない。