じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] バーベイン。クマツヅラとも言う。大学構内北西側の草地にたくさん生えており雑草だと思っていたが、小豆島のハーブ園に同じ品種があったので尋ねてみたところ、ちゃんとしたハーブであることを教えていただいた。近縁の在来種に馬鞭草(バベンソウ)というのがあるが、この発音はバーベナと似通っており、何かしら語源に関連があるなどと言われているそうだ。


7月11日(日)

【思ったこと】
990711(日)[一般]小豆島、塩飽本島、豊島、それぞれの事情

[写真1] [写真2]  昨日の日記に書いたように、1泊2日で小豆島にゼミ合宿に行ってきた。小豆島に行ったのはこれが2度目、泊まったのはこれが初めてであった。

 小豆島は瀬戸内海の島の中では淡路島に次いで2番目に大きい。島の最高峰の星ヶ城山の標高は817mで、たぶん瀬戸内海の島々の最高峰になっているはずだ。地図を見るとこうした高い山を中心に入り江と半島が入り組んでいて太陽の位置が分からない曇りの日などに車を運転しているとしばしば方向が分からなくなってしまうことがある。最初に行った時も、港から反時計回りに一周しようとしたところ、いつの間にか時計回り方向に進んでいることに気づいて驚いたことがあった。

 少し前の明石海峡大橋と先日のしまなみ海道の開通によって、本州と四国は3本の連絡ルートで結ばれることになった。これによって、京阪神方面からも広島方面からも、お金さえ出せば気軽に四国まで往復ができるようになった半面、この小豆島を初めとする島々は時間的には高松や徳島よりも遠くなり、よほどの個性的な魅力を出さないと観光客が足を運ばない時代になってきたように思う。今回の宿の方にも聞いてみたけれど、明石海峡大橋の開通後は、小豆島のいくつかの施設では観光客が減少しているとのこと。それをくい止めようと、フェリーや各施設の優待割引券などを配ってリピータの確保につとめている姿勢がうかがわれた。

[写真3] [写真4]  小豆島のセールスポイントは、明るい太陽とオリーブ(写真左上)、二十四の瞳、寒霞渓の紅葉、ほかに醤油製造施設見学とか孔雀園、お猿の国などがあるが、率直なところ、これだけでは1〜2度訪れれば十分。リピータの確保はなかなか難しいように思った。宿泊施設に隣接してスライダーつきのファミリープールがあったけれど、まことにお節介なことを言えば、岡山方面からわざわざフェリーに乗ってプールに入りにくる観光客がどれほどいるのか、島の特性を活かして海岸を整備したほうがよいのではないかという気もした。

 瀬戸内海の島の中では、岡大が職員の福利厚生用に海の家を開設している本島(ほんじま)に何度か行ったことがある。瀬戸大橋のすぐ西側に位置していて海岸から橋の夜景を間近に眺めることができるが、近年フェリーの乗降客が減少し航路の一部が第三セクター化されたというような話があったように記憶している。写真右上は、港の近くにあったリゾートホテルで、営業休止中の看板がかかっていて閉鎖されていた(昨年8月の時点で撮影)。

 岡大ではかつては、小豆島の西隣にある豊島(てしま)にも海の家を開設(民間施設の部屋を借り上げ)していたが、利用希望者が少ないことと、産廃による飲料水の汚染が問題化したために、5〜6年前に契約を取りやめてしまった。子どもたちが小さい時に何度か訪れたところで、今回の小豆島合宿の帰りには、私だけ特に別行動をとって、小豆島〜豊島〜宇野をというルートのフェリーでその後の様子を船から眺めてみることにした。写真中段左が、かつて家族で滞在した海の家のある海岸。5〜6年ぶりに間近に見たが、建物そのものは残っているようだった。日曜日であったせいか小型のレジャー船が何隻も停泊し、水上バイクやモーターボードで楽しむ様子も見えたが島に泊まる客はどのぐらいの数なのだろうか。いっぽう家浦港でフェリーの乗降客は10数人程度と中型の観光バス1台、貨物車数台のみ。日曜日午後のわりには空いているように見えた。

[写真4]  乗降客の中には産廃問題の実地見学をしてきたと思われるグループの人たちもおられた。写真中段右の半島部分が問題の場所らしく、デッキでそのことを話題にしておられた。この付近の海では魚がたくさん穫れるが、「香川県側の市場に出すと安全な魚であるにもかかわらず“豊島産”として敬遠される。同じ魚を岡山の漁師が獲って岡山の市場に出せば...」などという声も聞こえたが本当だろうか。いずれにせよ、これだけ騒がれた以上、せめて地球環境全体を守るための聖地の1つとして活かしてもらいたいものだと思った。

 そんなことを考えているうちに、フェリーは宇野港に到着。宇野駅と言えば、かつては四国へ向かう宇高連絡船の発着港として活況を呈した駅として知られていたが、瀬戸大橋線の開通により敷地は大幅に縮小。写真右下にあるように、気の毒なぐらいこぢんまりした駅舎に様変わりしていた。列車の運行も昼間は途中の茶屋町までの一両編成が1時間に1本程度。「宇野市」ではなく「児島市」となっているあたりも、かつて何度か宇高連絡船を利用した者としてはちょっぴり寂しい気がした。

※gooで検索したところ、こちらに瀬戸内海の島々についての情報があった。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】
【生活記録】
【今日の畑仕事】
  • トマト大2個、キュウリ1本、ミニトマトいっぱい、枝豆いっぱい収穫。大きいトマトは一部鳥にかじられていた。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】