じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 天文年鑑によれば、2月7日の19時26分、月と木星が6°49′まで接近した。なお、同じ日の9時22′には、月と天王星も6°22′まで接近したという。写真は18時23分頃に撮影。月齢は4.3。明るすぎてぼやけてしまっているので、もう1枚、月の中心で露光した画像を左上に貼り付けておく。

2月7日(月)

【思ったこと】
_b0207(月)「秋分の日、なぜ動くの?」の本当の理由

 2月8日付けの朝日新聞(大阪本社)2面に、表記の解説記事があった。秋分の日はここ30年以上ずっと9月23日であったが、2012年は116年ぶりに9月22日になる(23日以外になるのは、24日だった1979年以来33年ぶり)。なぜこのような変化が生じるのかについての解説であった。

 今年ではなく2012年のことがなぜ今ごろ話題になるのかと思ったが、発端は2011年2月1日11時50分配信の記事によるものと思われる。
 国立天文台は1日、来年の秋分の日が9月22日になると発表した。秋分の日が近年は23日が続き、22日になるのは1896年以来116年ぶりという。23日以外になるのは、24日だった1979年以来33年ぶりとなる。

 春分と秋分の日は、太陽と地球の位置関係で決まる。国立天文台が計算し、前年の2月1日付の官報で正式に確定する。春分の日はこの50年で3月20日と21日を行き来していたが、秋分の日は79年は9月24日で、80年以降はずっと9月23日だった。 【以下略】
 ウィキペディアの当該項目にも記されているように、秋分の日は定義上は「地球が秋分点を通過する日(日本時間)」であるが、日付については
国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づいて閣議で決定され、前年2月第1平日付の官報で発表される。よって、2年後以降の秋分の日の日付は確定していないことになるが、これまでに、天文計算によって求められた秋分の日付以外の日が秋分の日とされたことはない。
となっている。要するに、今年の2月1日になって初めて、来年の秋分の日が9月22日であることが公式に決定されたという意味であろう。それゆえ、2013年以降の秋分の日については「公式」ではなく「計算上」と但し書きされている。春分の日も同様。

 では、実際問題として、100年先の春分の日や秋分の日が「計算上」とずれることがあるか。可能性としては、巨大彗星の接近・衝突や太陽の膨張爆発といった想定外の現象により、地球の軌道や公転・自転周期が変わってしまう場合、また、春分点や秋分点通過が23時59分59秒から0時0分01秒あたりに重なる場合は、「うるう秒」の挿入によって日付が変わってしまうこともありうる。ま、巨大彗星の接近・衝突や太陽の膨張爆発という事態になれば人類はおそらく滅亡してしまうので、そのあとの日付を計算しても無意味にはなるが。

 さて、もとの話題であるが、2月1日付けの記事では、
...日付が動くのは、地球が太陽の周りを365日と約6時間かけて1周するためで、4年に1度、うるう年で調整するものの、それでもずれが出てくるためという。
となっていて、単に「調整してもズレが出てくる」という説明しか記されていなかった。2月8日付けの朝日新聞記事にはもう少し詳しい説明があるものの、明治・大正時代に比べてなぜ日付が前のほうにずれてくるのか(春分の日で言えば、3月20〜22日だったのが3月19日〜20日に、秋分の日で言えば9月22日になる回数が増えていく)については特段の説明は無かった。

 この話題については、私自身は、 などで取り上げたことがある。要するに、春分の日や秋分の日が2100年に向けて次第に前のほうにずれていくのは、現行のグレゴリオ暦で、西暦2000年を閏年と定めたことに起因している。西暦2000年が閏年であったのは単純に4で割り切れるためではなかった。グレゴリオ暦では「400年に3回だけ西暦が4の倍数であっても閏年でない年を定めており」、最近では西暦1700年、1800年、1900年は4で割れても閏年とはしなかった。これに対して西暦2000年は「西暦年が400の倍数の年」にあたるため、「閏年としないことはしない」→「閏年とする」となったのである。このことによって、春分点が毎年11分15秒ほど早くなってしまうことの誤差が1900年から2100年までのあいだで蓄積されていき、日付が早まっていくのである(詳しくは1998年4月29日の日記参照)。なお、私自身の自作プログラムで計算した2099年までの表がこちらにあり。