じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2009年版・岡山大学構内でお花見(61)朝日を浴びる道ばたのワルナスビ

 5月30日の日記に今年のワルナスビの花の写真を掲載したが、その後1ヶ月を経た現在も、たくさんの花を咲かせている。たちの悪い雑草であるが、道ばたで、誰も邪魔にもならずに咲く分には、そう「悪く」ないかも。


7月1日(水)

【思ったこと】
_90701(水)[心理]熱中と離脱のスパイラル(5)

 昨日の日記にも記したように、ここで話題にしている「スパイラル」は、数ヶ月、時には数年から数十年にわたる行動の持続と変化を特徴づけるものである。それゆえ、長期にわたる縦断的な観察記録を得られない限りは、確実なエビデンスは得られにくい側面がある。

 昨日の日記では「しかし、少なくとも、その人が現時点でスパイラルのまっただ中にある時は...」と限定した上で、観察や実験的な分析が可能であることを示唆した。では、すでに終わってしまった過去の出来事に関して、「スパイラル」の存在やタイプを確認することはできるのだろうか。なお、ここでは、「スパイラル」という概念の妥当性自体については議論をしない。もし過去の何らかの「スパイラル」があったとして、それを現在からさかのぼって分析することができるだろうかという形で議論を進めることとしたい。

 こうした過去の出来事は、当人の生活についての客観的な証拠(過去の体験の記録)と当人の回想による言語的な報告に基づいて分析するほかはない。その場合、

●回想として報告された「スパイラル」は、客観的な現象ではなく、むしろ回想者本人が作った物語ではないのか。

という疑念が出てくる。

 しかし私自身は最近、この問題について、以前とは違った見方をするようになっている。一口に「スパイラル」の分析といっても、
  1. 「スパイラル」の法則やモデルを生成するためのデータ集めのために回想をしてもらうのか。
  2. 当人の過去の「スパイラル」が、同じ人の現在の行動にどういう影響を与えているのかを分析するのか。
という2つのタイプがある。1.の場合にはできる限り客観的な証拠を集める必要があると思うが、2.のケースでは、客観的な事実関係の検証よりもむしろ、当人がどういう物語を作っていて、それを現在の生活にどう活かしているのかということのほうが重要ではないかと思うようになったのである。

 例えば、高校野球の練習に一生懸命励んでいたが、ちょっとした怪我がもとでレギュラーから外され、そのまま甲子園に出場できず、野球をやめて受験勉強に取り組み、その後大学院に進学して現在は心理学者を目指しているという学生が居たとする(←あくまで仮想の話)。この場合、「野球から離脱した」という経緯自体は「ネガティブなスパイラル」によるものと想定されるが、その経験が、現在の研究生活にどういう影響を及ぼしているのかは、当人の受け止め方次第で変わってくるだろう。つまり、現在の行動に影響を及ぼしているのは過去の体験そっくりそのままではなくて、当人が、過去の体験に関してどのような物語を作っているのかに依存しているはずだ。この種の「ナラティブ」は、行動随伴性という客観プロセスを重視する行動分析の視点とは相反するようにも見えるが、そもそも、「物語を作る」というのも1つのオペラント行動であって、物語の筋書き自体、強化されたり弱化されたりしていくものなのである。そういう意味では、上記2.の分析では、過去の体験の事実検証よりも、当人が作り上げている物語そのものを「事実」として受け止め、その「事実」が現在にどのように関連づけられているのかという部分のほうを客観検証していくことのほうが分析の意義が大きく、かつ生産的ではないかと思っている。

 次回に続く。