じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 6月6日の日記で、田んぼの「パラレルワールド」(←田んぼの周りの景色が水面に映って、異次元の世界のように見える現象)が今年も出現したと書いた。その後10日が過ぎ、田植えも無事に終わって、「パラレルワールド」の世界にも苗が写り込むようになってきた【クリックすると、上下を逆さにした大サイズの写真が表示されます】。



6月16日(火)

【思ったこと】
_90616(火)[一般]裁判員制度について考える(7)「裁判員の心のケア」と言うが...

 各種報道によれば、最高裁判所は、裁判員が遺体の写真などの残虐な証拠を見たり、重い刑を言い渡したりしたことによってストレスや精神的なショックを受けた場合の対策として、
  • 民間の業者に委託して24時間、無料で電話相談に応じる
  • 電話相談の際に申し込むと臨床心理士や看護師のカウンセリングが受けられる。5回まで無料。
  • ストレスや精神的なショックが大きく、専門の治療が必要と判断されたときは医療機関や精神科の医師も紹介する
という態勢を、すべての都道府県で整えて支援にあたることになった。

 しかし、このような措置は、裁判員制度への批判や不安の声をかわすための泥縄で小手先の方便にすぎず、

●裁判員になることを嫌がる人までむりやり徴用して、遺体などの残虐写真を見せる

という、裁判員制度の根本的な問題点を何1つ解決するものではないと私は考える。

 裁判員制度の種々の問題点については、こちらの連載で論じてきたところであるが、4月21日の日記で述べたように、
この制度が、国民の自発的、主体的、任意の参加に基づくものではなく、嫌がっている人を含めて強制的に駆り出し、異常で残虐な出来事に関わらせることを前提としていることである。裁判員制度にいかなるメリットがあったにせよ、こうした強制は断じて納得できない。
というのが私の持論である。

 自分の自由な意志で裁判員になった人が結果的に「心の病」に陥った場合は、上掲の対応でも納得できる面があるが、現行の裁判員制度はそうではない。善良な一般市民を、罪人と同じように無理矢理おお白州に引きずり出して、
  • 奉行:(裁判員にさせられた市民に向かって)おい、お前は、この罪人は有罪であると思うか。
  • 裁判員:お奉行さま、イヤでございます。私には、この者を裁くことはできません。
  • 奉行:なに、イヤと申すか。お上に逆らうとは何ごとじゃ。ほれ、この不届き者を棒でたたけっ!
と強要しているようなものである。

 ま、それはそれとして、裁判人に徴用された人が受けるストレスや精神的なショックは、たった5回程度のカウンセリングで完治できるという保証はあるのか。中には、そのことがもとで回復不能な精神的錯乱をきたし、自殺したり、他人をあやめたりする人が出てくるかもしれない。国民を本人の自由意志と無関係に徴用するというのであれば、そこから生じるいかなる結果に対しても国家は責任を負うべきである。




 ところで、この連載ではしばしば「徴用」という言葉を使ってきたが、『新明解』(第六版)によれば、「徴用」とは、

徴用:非常の場合、国家が国民を強制的に集めて、一定の仕事につかせること

というのが正確な意味であるようだ。例えば、外国が侵略してきた時に、国民を強制的に戦場や野戦病院に送り込むのは、徴兵あるいは徴用ということになる。この場合は、非常事態であるからして、徴用もやむを得ない。何もしなければ、敵兵に暴行・虐殺されるだけである。

 しかし、裁判員制度には、「それを導入しなければ国家が滅亡するという非常事態である」という必然性はない。 裁判員制度推進論者は「裁判制度を実施すればこういういいことがあります」というメリットばかりを口にしているが、「裁判員制度を延期、廃止したらこんな困ることが起こります」というよう非常事態があるとは何も論じていない。

 そういえば、1ヶ月ほど前、

裁判員・参加せずとも罰則なし/大久保太郎(元東京高裁部総括判事)

という記事を拝見したことがあった(2009年5月20日)。私も以下の記述に全く同感である。
...しかし、裁判員法を憲法との関係において検討すれば、国民には「裁判参加の義務」などはなく、むしろ国民には裁判に参加する資格がなく、裁判参加は、法的に違法(違憲)であるとともに、倫理的に参加者自身および被告人に対する二重の冒涜であり、また、裁判所に出頭しなかったからといって過料の制裁を受けることはないと考えられる。
 このことに加えて、今後、裁判員になった人が回復困難な「こころの病」に陥った場合は、国家賠償を求める訴訟を起こすべきであろう。ま、そうは言っても、最高裁が推進者であるとすると、公正な判決が下されるかどうかは心もとない。やはり、

●いかなる政党の所属であっても、裁判員制度に肯定的な議員には、ゼッタイに投票しない。

という形で政治的に解決していくことがいちばん現実的な方法であると言わざるを得ない。

事態の変化に応じて、不定期ながら、この連載は今後も続きます。