じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2009年版・岡山大学構内でお花見(44)シャリンバイ

 シャリンバイの白い花が見頃を迎えている。私自身はこの樹には馴染みが無く、子どもの頃に自宅の庭にあったモッコクの仲間であろうと思い込んでいた。もっとも、「ハナモッコク」という別名でも呼ばれているということなので、それほど外れてはいなかった。シャリンバイとモッコクでは花の形も異なるが、シャリンバイは紫色、モッコクは赤い実となるのですぐに区別できる(但し、マサキの赤い実もあるので、葉っぱにも注意する必要あり)。

 なお、同じ樹を北側から撮った写真が2007年5月23日の日記(楽天版)にあり。


5月19日(火)

【思ったこと】
_80519(火)[心理]「一人で過ごせない人」と「一人で過ごしたい人」(1)

 新型インフルエンザの感染拡大で中学や高校が休校となった神戸市では、「家にいてもすることがない」とカラオケ店に行く生徒が居るという。某系列店のカラオケでは利用料半額セールが開始されたこともあって、オープン前から休校となった高校生らが行列する事態になり、店側では、「休校が実施されている生徒様の入店をご遠慮いただいております」というような張り紙を掲示しているという。

 カラオケ店に集まる生徒たちは、別段、勉強嫌いで休校となったのを大喜びしてカラオケに殺到したわけでもないようだ。友だちと一緒に居ないと落ち着かない、することがないというのが、おそらく一番の理由であろう。このことでふと思ったが、私がもし中高生であって同じような休校措置に遭遇したとしたら、カラオケなどにはゼッタイに行かなかったであろう(←ま、「カラオケ」が発明されたのは1971年であり、この時には私は大学生になっていたので、どっちにしてもそういう過ごし方はできなかったが)。但しそれは、休校時に娯楽施設を利用するのはよろしくないと考えるからではない。単に、そういう過ごし方は時間の無駄であると思うからに過ぎない。たぶん私がもし中高生であったとしたら、秩父、丹沢あたりの山登りに出かけるか、近隣の植物園、動物園、水族館などに出かけるか、もしくは、自宅に籠もって一日中、『大学への数学』の「今月の宿題」問題を考えて過ごしたであろう。

 要するに、休校になった時にカラオケに出かける高校生は「一人では過ごせない人」であり、いっぽう、私のようなタイプは「一人で過ごしたい人」ということになる。

 こうした問題は、中高生ばかりでなく、高齢者の過ごし方のスタイルにも関わってくる。このWeb日記でも何度か書いたことがあるが、最近私が関心を持っているのは、「一人で過ごしたい」と望むお年寄りの生きがいをどう保障するかという点である。現在のところ、高齢者福祉というのは、どうしても「一人で過ごせない人」への対策が中心であり、みんなでワイワイ楽しむことが無条件に良いころでありというような固定観念に満ちあふれている。また実際、そのほうが低コストで福祉環境を維持できるという利点もある。「一人で過ごしたい人」を続けるためには相当の資産があり、自宅の書斎や庭を改造し、かつ、自分のことを世話してくれる人を雇う必要がある(←そりゃ、配偶者に面倒をみてもらえるならそれにこしたことはないが)。もちろん、多摩川のホームレスの人たちのように、資産家でない人たちも居るが、これは「一人で過ごしたい人」というより、「一人で過ごす以外の道を選べなかった人たち」と言うべきかもしれない。

 不定期ながら次回に続く。