じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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§§  昨日の日記に菜の花の写真を掲載したところであったが、3月3日は一転して真冬並みの寒さとなり、岡山県南部でも降雪があった。この日の最高気温は午前0時〜午後3時の間が4.5度、午前9時〜午後9時の間が4.7度となっている(18時頃にこの日の最高を記録したため)。

 なお今回の降雪は低気圧通過による湿った雪であり、半田山の一部がうっすら雪化粧した程度で積雪はなく、その後ミゾレや雨に変わった。


03月03日(火)

【思ったこと】
_90303(火)[一般]「ひとりと一匹たち 多摩川 河川敷の物語」(1)

 日曜日の夜、寝る前にテレビのスイッチを入れたら、ちょうど、NHKのETV特集、

「ひとりと一匹たち 多摩川 河川敷の物語」

が始まったところであった。就寝時間を過ぎていたのでとりあえず録画し、翌日の夕食時に視た。筋書きの無い展開の中で、次に何が起こるのか全く判らない、「今」が「今」であり続けることがいかに大変なことであるのかをつくづくと感じさせられた。私が今年になってから視た中では最も感動的な番組であった。

 公式サイトにも記されているように、この番組は、多摩川河川敷で暮らすホームレス(←本来は「野宿生活者」と呼ぶべきかと思うが、ここでは番組の表記に従う)の人たちと、そこで一緒に暮らす犬や猫、そしてその猫の写真を撮り続けている写真家の交流を数ヶ月にわたって描いたものであった。




 ここで少々脱線するが、東京・世田谷に生まれ育った私にとって、多摩川河川敷やそこに隣接していた二子玉川園京王遊園などは、幼少の頃からの馴染みの深い場所であった。そういう懐かしさもあって、上京したおりにも、何度かその土手を散策したことがある。とりわけ、小田急線・和泉多摩川駅から京王線・京王多摩川駅までの土手は何度も散策したことがあり、番組の映像を見ただけで、「あっ、あそこだ!」とすぐに判る場所も少なくなかった。

 私自身が散策していた時にも、和泉多摩川や登戸近辺の河川敷には野宿生活者の方の小屋やテントが散見され、白いヒゲを生やしたおじさんが小屋の前の椅子に座って何かの作業をしているようなところを目撃したこともあった。しかし、正直なところ、そういう人たちの生活空間には近寄りがたく、なぜあのような場所で暮らしているのか、日々何を考えておられるのか、どうやって生計を維持しておられるのかは知る由もなかった。




 今回の番組によれば、あの河川敷にはおよそ900人の「ホームレス」の人たちが暮らしている。これは全国の河川の中でも最多であるという。

 この多摩川というのは、岡山市内を流れる旭川よりも川幅が狭いように感じられるところが多いが、東京と神奈川県を隔てる境としてはきわめて重要な意味を持っている(但し、行政上は、本流の南側の河川敷の一部が東京都に含まれているエリアもある。例えばこのあたり)。

 私自身、中学・高校生の頃にサイクリングで、北は埼玉県・平林寺、西は府中あたりまで遠出したことがあったが、南方向は、どのように進んでも最後は多摩川の土手に突き当たることになる。まばらに架けられている橋を渡らない限りはそこが「世界の果て」になってしまうのであった。

 仕事や家を失った人たちの場合も、おそらく、南の方向に放浪すれば最後は多摩川の土手にたどり着く。また、土手の一角からは、天気がよければ富士山も見渡せる。そういう象徴的な場所が野宿生活の場となるのは、ある程度納得できる。

 もっとも、河川敷での野宿生活はそんなに楽なものではない。こちらの記録にもあるように、多摩川では何年かに一度の割合で、大規模な増水、時には洪水・氾濫があり、河川敷はすっぽり水に覆われてしまう。番組でも取り上げられていたが、このような洪水で小屋ごと押し流されて命を奪われた人たち、あるいは猫たちが何人、何匹もいるが、正確な数は判らないそうだ。このほか、ホームレス襲撃で殺された人や、毒殺されたネコたちもいるという。

 また、日常的にも、あのあたりは夏場にはけっこう蚊が多く、冬は相当に寒い。よほどの丈夫な体でないと、長期間、生活を維持することはできないものと思われる。

 なお、ネットで検索したところ、番組に登場されていた写真家・小西さんの関連サイトを見つけることができた。アルバムの中には、番組にも登場したネコたちの写真が掲載されている。

 次回に続く。