じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 時計台前のモミジ(イロハカエデ?)の新緑が美しい時期となった。いまの時期は、プロペラ状の実をつけており、赤い花が咲いたようにも見えている。2008年11月27日の日記に、ほぼ同じ場所から撮った紅葉の写真あり。


4月29日(水)

【思ったこと】
_90429(水)[心理]節約について考える

 100年に一度と言われる経済危機の中で個人消費の拡大がもとめられているが、だからと言って財布の中に無限のお金があるわけではない。数日前にもクレジットカード会社からの多額の引き落としがあり、口座残高がマイナスにならぬよう奔走したばかりであった。大型連休中の出費にも気をつけなければならない。

 このことでふと思ったが、一口に「節約」と言っても、いろいろなタイプがある。『新明解』では「節約」は

無くても済ますことの出来るものは省き、切り詰めることの出来るものは出来るだけ切り詰めること。

というように定義されているが、無ければ困るものであってもしばらく辛抱して出費を抑えることがあるし、また、地球規模の節約に貢献しようとするのか、それとも個人レベルでケチるのかによっても行動はずいぶんと変わってくるように思う。

 例えばガソリンを節約しようという場合、
  1. ガソリン代が生活費を圧迫しているので、できるだけ節約する。
  2. 地球温暖化防止のためできるだけガソリンを使わないようにする。
  3. 地球上の石油資源は有限であるため、枯渇しないように節約する。
では、目的が全く異なる。

 「節約」というと物品の購入を控えるということが真っ先に思い浮かぶが、モノというのはたいがい、それを如何に使用するのか(道具として使用する、食べるなど)によって価値が変わってくるものであり、けっきょくは、モノ自体の節約ではなく、行動機会を差し控えるということと直結している。例えば、ピアノを買うか買わないかというのは、ピアノというインテリアを室内に置くことではなくて、購入者やその家族がピアノの演奏にどれだけの価値を見出すのかにかかっている。車も同様であって、車庫に駐め置くだけのために購入するわけではない。

 山登りの旅行、有料の資格取得講座にお金をかけるかどうかということになると、もはや物品購入とは言えなくなってくる。この場合の「節約」というのは、行動機会を延期もしくは消滅させることである。一生の長さは限られているため、健康であるうちに山に登ったり、何かの資格をとろうとするさいには、時間にも十分に配慮する必要がある。

 さて、5月2日から6日までの五連休であるが、私自身は特にモノを買う予定はない。但し、今年の後半にかけては、車の買い換えをどうするか(←というか、2台も持っている必要はないのではないか)、大型の薄型テレビに買い換えるかどうか、夏休みの旅行をどうするか、などなど、節約のための優先順位をつけるための検討課題が目白押しとなっている。