じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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緑豊かな大学構内

 大学構内が緑いっぱいに包まれるようになってきた。写真上は、理学部の芝地から見た時計台と半田山。写真下は文学部中庭。藤の花も見頃となっている。



4月22日(水)

【思ったこと】
_90422(水)[一般]裁判員制度について考える(4)現行犯と状況証拠認定では「人の裁き方」は異なる

 各種報道によれば、和歌山市の毒物カレー事件で、最高裁は殺人罪などに問われた林真須美被告の上告を棄却した。これにより、被告の死刑が確定。被告は一貫して無罪を主張したが、判決は、検察側の状況証拠を「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度に証明されている」と積極的に認め、「動機が解明されていなくても認定を左右しない」と判断した。

 この事件のように、被告が一貫して無実を主張し、状況証拠の積み重ねだけから有罪か無罪かが判断され、しかも有罪の場合は死刑というようなケースにおいて、裁判員は公正な判断をすることができるのであろうか。

 裁判員制度は、殺人や放火、身代金目的誘拐など重大事件を対象としているというが、これらの事件は、少なくとも2つのタイプに分かれると思う。
  1. 被告が真犯人であることが明白である場合。例えば、通り魔事件や強盗殺人で現行犯逮捕された場合。あるいは、本人が犯行を認め、かつそれを裏付ける証拠が明白である場合など。
  2. 被告が一貫して無実を主張しているが、状況証拠の積み重ねから有罪であると判断される可能性が高い場合。
 上記の1.の場合は、もはや被告が犯人であるかどうかについては思い悩む必要はない。あとは、情状酌量や、犯行当時の精神状態をどの程度斟酌するかということになる。もっとも、被告の責任能力とか殺意の有無について、素人である裁判員が公正な判断を下せるのかどうかは微妙であろう。

 さらに問題となるのは2.の場合である。4月20日の日記で引用したように、裁判員制度の最大のメリットは、「国民が持つ社会一般の価値観や市民感覚が反映」することにあるというが、価値観や感覚で真犯人かどうかが判断されたのではたまったものではない。2.のケースはあくまで自然科学の方法に基づき、専門的知識を最大限に発揮して、真の原因をつきとめるための努力が必要である。

 ネットで閲覧した毎日新聞の社説(4/22)には
...
カレー事件のように被害者が多い場合、有罪と認定されれば死刑になる審理が想定される。ただ、こうした難しい判断を迫られる事件にこそ市民の良識を反映させるべきだ。

【途中省略】

状況証拠の当否の判断には、市民の経験や常識を生かしたい。それが裁判員制度本来の目的であり、司法の信頼を高めることにつながる。
というような記述があるが、うーむ、どうだろうか。「状況証拠の当否の判断には、市民の経験や常識を生かしたい。」というが、裁判員は有識者でも専門家でもなく、くじびきで選ばれた素人である。真犯人かどうかという判断を少しでも正確なものにしようとする際、素人の「経験や常識」が貢献するとは到底思えない。

 不定期ながら、この連載は続く。