じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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§§ 2009年版・岡山大学構内でお花見(29)ハナミズキ

 岡大・東西通りのハナミズキが見頃となった。昨年の写真が4月22日の日記にあり。平年並みの開花か。


4月20日(月)

【思ったこと】
_90420(月)[一般]裁判員制度について考える(2)くじ引きで選ばれた人の意見が国民の代表的意見とは言えない

 すっかり日にちが空いてしまったが、3月18日の日記の続きとして、スタートまであと1カ月と迫った裁判員制度について私なりの考えを述べることにしたい。

 3月18日の日記でも述べたが、私は裁判員に選ばれた時には国民の義務としてそれに従うが、裁判員制度自体には全く賛成できない。反対の理由は二段階に分かれている。第一段階の理由は、制度そのものが間違っていると思うからであり、第二段階の理由は、「仮に裁判員制度を認めるとしても、裁判員の選び方には問題がある」と思うからである。もっとも、理由の中には第一、第二段階両方を含む内容もあるので、ここではあえて区別せず、制度の問題点を指摘していきたいと思う。

 さて、4月21日の朝日新聞岡山版に「裁判員制度Q & AKという記事があり、その中に、

Q:制度の導入は、どんなメリットがありますか?

という問いがあった。これに対する岡山地裁総務課の担当者の回答は、

A:裁判の進め方や内容に国民の視点、感覚が反映されることになります。実際に自分の意見を言って、判決に反映されることで、裁判への信頼が高まることが期待されます。


というものであった。ネットで検索したところ、こちらのサイトに、
裁判員制度が持つ最大のメリットは、刑事裁判に国民が参加することによって有罪か無罪かの判断や量刑、そしてその判決理由などに国民が持つ社会一般の価値観や市民感覚が反映されます。これにより一般的な常識からかけ離れた判決が出てしまうことを防止することができ、最終的には国民から裁判所に対する信頼を得ることができます。
 さらに御本家の最高裁の関連サイトには
一言でいうと,裁判の進め方やその内容に国民の視点,感覚が反映されていくことになる結果,裁判全体に対する国民の理解が深まり,司法が,より身近なものとして信頼も一層高まることが期待されています。
というように書かれてあり、上掲の3者とも、要するに、「国民の視点、感覚が反映」、「国民が持つ社会一般の価値観や市民感覚が反映」、「国民の視点,感覚が反映」ということが、最大のメリットの1つとして強調されているように思える。

 「国民の視点や常識を反映すべきである」という主張自体は私も大いに賛成であるが、果たして、抽選やくじ引きで6人を選ぶという方法で、国民の代表的な意見が反映されることになるのだろうか?

 仮に、国民の半数が死刑存続論者、残りの半数が死刑廃止論者であったとする(←実際の比率は時代によっても変わるが、ここでは話を分かりやすくするため半々であると仮定する)。この場合、裁判員が純粋にランダムに選ばれたとすると、6人の裁判員の中で死刑存続論者が0人、1人、2人、...6人を占める割合は、二項分布の数表の通りで、順番に

1:6:15:20:15:6:1

となる。要するに、死刑存続論者と死刑廃止論者のどちらから6人中4人以上を占める確率はそれぞれ22/64、両者が同数となる確率は20/64ということである。

 であるからして、6名の裁判員を抽選で選ぶという方法をとる限りにおいては、凶悪殺人事件の被告が死刑になるかどうかということは、結局のところ、二項分布の確率の問題ということに帰着する。

 単に「意見を反映」というのであれば、たった一人の偏った意見がまかり通ることも「反映」の一種ではあるけれども、それは決して代表的意見とは言えない。こんなことは統計のサンプリングの常識ではないだろうか。




 ではどうすれば、「国民の視点や常識を反映」できるのだろうか。一番確実な方法は、裁判員制度のような個別的具体的な事例について判決に国民を参加させるのではなく、もっと別の方法、例えば、全国から3000人くらいの規模で「裁判員」を無作為に抽出し、仮想の凶悪事件の事例をいくつか挙げて、どういう判決を下すことが妥当であるのか、しっかりと意見を聴くことではないかと思う。裁判官は、その時に出た意見を踏まえ(もしくは判例と同等の扱いとして尊重し)、個別的な事件の判決に反映させるのである。

 それ以外の方法としては、裁判官の国民審査や、再審制度の充実などが挙げられる。




 ここからは、裁判員制度から離れた一般論になるが、「抽選で選ぶ」というやり方は、決して、統計学的な意味でのサンプリングの正当性を保証するものではない。それは単に「いったん抽選で選ぶと決めた以上は、選ばれた人も、選ばれなかった人も、結果については文句を言えない」という、不満や衝突を回避するための方便に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないというだけのことだ。確かに、なにがしかの「反映」にはなるが、決して「代表」にはならない。

 なお、最高裁の関連サイトによれば、原則,裁判の6週間前から選任手続期日(裁判の当日の午前中)までは
  1. くじで選ばれた裁判員候補者に質問票を同封した選任手続期日のお知らせ(呼出状)を送ります。裁判の日数が3日以内の事件(裁判員裁判対象事件の約7割)では,1事件あたり50人程度の裁判員候補者にお知らせを送る予定です。質問票を返送してもらい,辞退が認められる場合には,呼出しを取り消しますので,裁判所へ行く必要はありません。
  2. 裁判員候補者のうち,辞退を希望しなかったり,質問票の記載のみからでは辞退が認められなかった方は,選任手続の当日,裁判所へ行くことになります。裁判長は候補者に対し,不公平な裁判をするおそれの有無,辞退希望の有無・理由などについて質問をします。候補者のプライバシーを保護するため,この手続は非公開となっています。
というプロセスを経ることになっているという。若干気になるのは、上記2.のところで「裁判長は候補者に対し,不公平な裁判をするおそれの有無,辞退希望の有無・理由などについて質問をします。」と記されている点である。3月18日の日記にも述べたように、私は、人を殺した者は、真にやむを得ない事情がある場合を除き、原則として死刑に処するべきであるという固い信念を持っているので、もし2.のプロセスまで私自身が候補として残ることがあれば、その時点で、私は、裁判員制度には反対であること、また、「人を殺したら死刑」という固い信念を持っていることを明確に表明したいと思っている。裁判官がこのことを「不公平な裁判をするおそれ」と判断するのかどうかは定かではない。

 不定期ながら、この連載は続く。