じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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§§ 2009年版・岡山大学構内でお花見(19)葉ボタンの花

 南北通りに植えられていた葉ボタンが花をさかせていた。葉ボタンは葉っぱを観賞するものであるが、花もなかなか美しい。この日記でも などで取り上げたことがあった。

 なお、「岡山大学構内でお花見」の連載として紹介しているが、今回の撮影場所は正確には岡大構内ではなく、「岡大構内に入る手前の市道沿い」である。


04月2日(木)

【思ったこと】
_90402(木)[心理]どこまで必要 日本人の“英語力”

 夕食時にNHKクローズアップ現代「どこまで必要 日本人の“英語力”を視た。記録サイトにもあるように、経済のグローバル化が進む中、ビジネスやインターネットの世界で英語と触れ合う機会が増えている。しかしその相手は、ネイティブ英語者よりはむしろ、中国やロシアや中東など、彼らにとっても英語は外国語であるという人たちのほうが多い。番組で紹介された本名先生の資料によれば、いまや、英語使用者のうち、ネイティブは3億人程度、外国語として英語を使う人はその6倍近い17億人に達しているという。

 英語力あるいは英語教育というと、小学校の英語の時間を増やせとか、ネイティブスピーカーの教員を増やせといった論調が少なくないように思うが、今回の番組はそれとは視点が異なっており、むしろ、
  1. 日本人が英語に近づくのではなく、英語を日本人に近づける
  2. コミュニケーションツールとしての英語
  3. 自己主張する道具として
  4. 英語を過度に求めることへの警鐘
  5. 伝達の方法よりも、伝える内容が大切。伝えるべき内容を持つ。
  6. 自信を持って話すこと。
などが強調されていた。

 英語教育についてはかつて、

「英語が使える日本人」再考

という紀要論文を書いたことがあるが、今回の番組の趣旨は、私の主張とほぼ一致するものであった。

 いまの時代、日本人にとって英語力が必要であることは大多数の人が認めるところである。しかし、ネイティブ英語を神様のように仰ぐいでそれに近づこうとすることは、現実的に不可能であるし、むしろ弊害が多い。紀要論文で引用させていただいた本名先生の御指摘を再掲すると、
本名(1999)は、英語教育(学習)のモデルが非現実的である点について

 そのきわみは、学習者がネイティブ並みの能力の獲得を求められることである。また、ネイティブ文化の学習同化も重要視される。そして、この目標の達成が不可能なので、いつまでたっても英語に自信がなく、それを積極的に使用しようとする意欲がわかない。ネイティブと同じように話せないと、ちゃんとした英語ではないと思ってしまうのである。

と述べ、その結果として
  • 学習者は無力感と劣等感に悩み、英語運用に消極的になる。
  • ニホン英語でも国際的場面で十分に活躍さきる事実を過小評価する。
  • 他国のノンネイティブの英語変種に違和感をもち、差別的態度を生む。
ということになる。

 もっとも、だからといって、日本人は偉いんだ、俺様の英語が分からないヤツはもっとニホン英語を学べと傲慢になっても誰も相手にしてくれない。けっきょくは相手とのコミュニケーションの中でのキャッチボール、つまり、(ネイティブの)文法的から言えば間違っているような表現であっても、とにかく短いフレーズで表現し、それに対して、相手方が言い換えや確認のフレーズを返すという双方向性を重視することが肝要であると思う。

 今回の番組でも、インド人が「13」と発言したのを、日本人が「38」と聞き違えてしまうという具体的な事例が紹介されていた。しかしそういうことが起こっても、日本人側から「サーティエイト?」と問い返し、インド人が「ノー。ワン、スリー」と答えることで、誤解無く協議を進めることができるのである。

 こういう双方向性が確保できれば、センター試験リスニングテストで求められるような能力とか、あるいは、「R(アール)」と「L(エル)」が区別できるように発音の練習をするといったことはむしろ必要ないということになる。




 番組で論じられたことについて、私なりの意見を追加させていただくと、まず、日本人が英語を学ぶにあたっては、日本人がどういうスタイルで物事を認識するのか、また日本語という言語に、英語と違ったどういう特徴があるのかをある程度理解することが必要である。紀要論文にも書いたが、このことに関しては、岩谷宏氏、松井力也氏、金谷武洋氏らの論考が大いに参考になる。少なくとも大学生は、英語を学ぶにあたって、単にトーイックのスコアを伸ばそうとするだけでなく、いま述べたような文献も精読する必要があると思う。

 第二に、外国人、とりわけ英語が母語でない外国人とコミュニケーションをはかるという場合には、相手の国の人たちがどういうスタイルで物事を認識するのか、あるいは相手の国の言語にどういう特徴があるのかをある程度知っておいたほうがよい。つまり、いつでもどこでも「ニホン英語」ではダメであって、ある程度相手に合わせ、相手にも自分に合わせてもらうというような調整があったほうがいいと思う。例えば、相手の国の言語が、主語を重視する特徴をもつのか、SVO型かSOV型か、名詞型か動詞型か、受身形を多用するかといったことは、円滑なコミュニケーションをはかる上できわめて重要であると思う。




 余談だが、クローズアップ現代の司会者の国谷裕子さんと言えば、ブラウン大学(国際関係学専攻)ご卒業で英語の達人として知られる方でもある。できれば、国谷さんご自身のご意見もご披露いただきたかったが(今回の番組趣旨とは多少異なるご意見をお持ちだったのでは?)、司会者としての役割上、聞き役に徹しておられたようである。