じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



01月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 文学部前のサザンカ。この季節、サザンカの花はいたるところに咲いていて、花自体にはあまり希少価値は無い。むしろ、背景とのツーショットで一輪の価値が出てくるように思う。


01月27日(火)

【思ったこと】
_90127(火)[一般]円独歩高からお金とは何かを考える(5)雇用問題と産業分類

 1月25日の日記の続き。

 岡山労働局は1月26日、岡山県内の昨年12月の有効求人倍率(季節調整値)が0.96倍になったと発表した。1.0倍を切ったのは2003年9月以来、5年3カ月ぶりのことであるという。そのうち新規求人数は前年同月比15.4%の減少で、産業別では、造船・自動車などの「輸送用機械器具」が60.2%減、製造業39.4%減、小売業14.2%減、建設業6.7%減などとなっている【以上、1/27付け朝日新聞岡山版から要約引用】。

 このほか、この数日の間にも、北海道大の学生用施設「クラーク会館」で寒さをしのぐ人も現れたといったニュース、契約社員のハシゴで深夜に及ぶ長時間労働に耐えながら御飯に梅干しと削り節をふりかけた弁当だけで毎日を過ごす人など、100年に一度と言われる経済危機の中にあって苦労をされている方々の様子が次々と伝えられている。

 こうしたニュースを耳にするたびに私が疑問に思うのは、なぜ、これほどまでに、輸出産業、製造業、小売業といった第二次、第三次産業[]に頼らなければ、国民の最低限の生活が守られないのだろうかという点である。
]第二次、第三次というような呼び方は、ウィキペディアによれば、コーリン・クラークによる古典的な産業分類の一つであり、いまでは、第一次産業から第三次産業のほか、第四次産業、第五次産業、第六次産業、さらには、1.5次産業やら2.5次産業という分類まで登場しているらしい。


 確かに、雇用という形態で人々を労働に従事させ、給料を支給することで衣食住の基本を保障しようとする限りにおいては、今の日本の産業構造を根本から変えることはできない。引き続き国際競争力を高め、イノベーションを発揮していくことが求められるであろう。

 しかし、市場経済とか景気ということをいっさい抜きにして、最低限度の衣食住を保障するということを考えるのであれば、日本はまだまだ、自給自足でも何とかやっていかれるだけの恵まれた国土を備えているように思えてならない。




 そう言えば、昨年3月に、アイスランドを訪れたことがあった。アイスランドとなると、さすがに、氷河や凍土に覆われた地域が多く、自給自足を保てるだけの食料が生産できるかどうかはかなり疑問であった(←もっとも、温泉熱を利用したハウス栽培などは行われていたし、水産資源は豊富であるように見えた)。とにかく、日本であれば、国土をもっと有効に活用し、例えば国が休耕地や空き住宅を借り上げて無料貸与すれば、契約を打ち切られた人たちは、あれほどまでに苦労しなくても、自力で多少なりとも農作物を育て、景気の好転を待つということができるはずである。

 とにかく、何が何でも製造業にしがみつく必要は無いのではないか。大地にしっかりと足をおろし、自らの手で食の基本を守るということのほうが、日々、職探しのためにかけずり回るより遙かに生産的であるように思う。




 ところで最近、解雇や契約打ち切りとなった人たちを対象にホームヘルパー2級の資格取得に必要な研修費用の半額を助成するなど、雇用不安に関連して介護職への転身を支援する対策が活発になっていると聞く。介護職が慢性的な人手不足にあることは確かであり、これを機会に人材を確保するということは間違ってはいないとは思うが、「お金を稼ぐためには他に道が無いので、いやいや介護職に就いた」ということになってしまったら、介護を受ける側もたまったものではない。

 それと、1月25日の日記と同様、「人口100人の島」という思考実験をしてみればすぐに気づくことだが、
  • 島の人口100人のうち50人が要介護
  • 残りの50人が介護職
という状態になってしまったら、誰も暮らしていくことはできない。生活を維持していくためにはやはり、衣食住の基本を支えてくれる生産者が居なければならないのである。

 というようなことから素人なりに考えてみるに、雇用対策と景気対策は必ずしも連動させる必要はない。それよりも食の安全を守るために人手を確保すべきであると思うのだが、どこか間違っているだろうか。

 次回に続く。