じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 チャドクガの交尾

 ここ数年、大学構内のツバキやサザンカにチャドクガが大量発生し、立入禁止エリアが設けられることさえある。

 今年の春にも大量発生し、すでに駆除が終わっていると思っていたのだが、やはり100%駆除は難しかったようで、写真のような成虫が交尾をしているところを目撃した。ネットで検索したところでは、上に乗っている大きな個体のほうがメスであるらしいが未確認。七夕の日とはいえ、チャドクガの交尾はゴメンだ。油断すると8月下旬に再び大量発生する恐れがある。

7/8追記]
翌日朝、ガラスの裏側からの撮影に成功したので、表、裏両側からの画像に差し替えておく。裏側から見ると、オスの上にメスが覆いかぶさっているのがよく分かる。


7月7日(月)

【ちょっと思ったこと】

洞爺湖の思い出

 7月7日、主要国首脳会議「北海道洞爺湖サミット」が開幕した。各種報道によれば、会場の「ザ・ウィンザーホテル洞爺」は洞爺湖畔に近い標高約620メートルの山頂にあり、晴天ならホテルから湖などが一望できる。外務省幹部は「環境が主要議題となるサミットにふさわしく、各国首脳も素晴らしい環境を実感できる」と期待していた。 しかし、実際には、洞爺湖や新千歳空港周辺で霧が発生し雨雲もたれ込め、ヘリコプターでの移動をあきらめて車で会場に向かう首脳たちも多かったと聞く。

 日本で開催されるサミットというと、1979年、1986年、1993年それぞれの年に開催された東京サミット、2000年の「九州・沖縄サミット」が記録にあるが、なぜか開催時期は7月の蒸し暑い時期に固定されており、猛暑の中を背広姿で歩く各国首脳や、随行する関係者各位の様子はまことにお気の毒で、見ているほうまで汗が出てくるほどであった。

 そういう意味では、今回の会場は気温20度前後で比較的涼しく、日本で行われるサミットは暑くてかなわないというイメージを払拭する上では効果があると思うが、問題は天気のほうだ。この時期、どう見ても3日間快晴に恵まれるとは思えない。誰が、どういう資料に基づいて、この場所を会場地として決定したのだろうか?




 北海道は学生・大学院生時代に何度か訪れたことがあった。当時は「北海道ワイド周遊券」や「道南ワイド周遊券」というのがあり、往復路と指定エリア内では、特急や急行を含む自由席に何度でもフリーで乗車することができた。記憶は定かではないが、こうした周遊券には5月末までの冬期割引があり学割も併用できた。また、これらの切符は最大1カ月後のものを買うことができたので、5月末にJR窓口に行けば冬期割引適用条件のもとで、6月末から使用開始の周遊券を手に入れることができたのである。これを使って、何度か7月上旬に旅行をしたことがあった(←当時の大学は6月下旬から「無期限バリケードストライキ」が行われていたりして、7月に授業が行われるのは皆無であった)。

 もっとも、今回のサミット会場である洞爺湖を含め、7月上旬の道南地方というのは天気の悪い日が多かった。いつぞや、道南周遊券を利用して、羊蹄山(後方羊蹄山)、駒ヶ岳、樽前山、恵庭岳、ニセコ、有珠山などを登る計画を立てて7月上旬にこのあたりのユースホステルを連泊したことがあったが、いずれも、中腹から上は厚い霧に覆われて全く視界がきかず、単に頂上を極めたという以外には何の感動もわかない毎日を過ごす羽目になった。後になって、「北海道には梅雨がない」というのはウソで、少なくとも道南地方はこの時期に2週間ほど梅雨前線の影響を受けることがあるという話を聞いた。

 けっきょく、上記のうち、羊蹄山、駒ヶ岳、樽前山はその後、9月にもう一度登り直し、その時にはいずれもバッチリと好天に恵まれた。

 有珠山は、当時はロープウェイで登るだけの山であまり魅力を感じていなかったが、その後大噴火を起こした。最近では再び登山できると聞いているがその機会が無い。1977年〜1978年噴火の後一度、洞爺湖のユースホステル(←今は無い?)に泊まったことがあった。この時は、確か、昭和新山ユースホステルは閉鎖されており、途中の道路の至るところに亀裂や隆起があって、火山活動の凄まじさを実感したものであった。

 学生時代はとにかくお金が無かったので、ワイド周遊券のみで移動し、別途お金がかかる路線バス区間はできるだけ歩くようにしていた。洞爺湖までは、旧国鉄の壮瞥駅から歩いた記憶があるのだが、改めて地図を見たらJR壮瞥駅というのはすでに無くなっていた。そうか、胆振線は廃止されていたのね。