じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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岡山大学構内のキノコ(2)
 昨日のキノコの続き。1日経過して傘が開き、このキノコの特徴がはっきりとしてきた。どうやら、カラカサタケで間違いないようだ。真ん中の写真は、菌輪の配置。アスファルト舗装により右端が切れている。

但し、よく似たキノコに、オオシロカラカサタケという有毒キノコがあり、素人判断は禁物。このほか、マントカラカサタケというのもあるが、いちばん下の写真にあるように、このキノコの「マント」は比較的小さい。


6月5日(木)

【思ったこと】
_80605(木)[心理]人間・植物関係学会2008年大会(1)

 表記の大会が、2008年6月7日(土)から8日(日)まで、滋賀大学教育学部で開催される(主催校の案内サイトはこちら。このことに関連して、最近の考えをまとめておくことにしたい。

 最近私がますます確信を深めているのは、私たちの日常行動は

●「単一の行動→直後の強化」

という行動随伴性の断片的な寄せ集めではなく、相互に連関し、かつ「入れ子」となるような構造を持っているということである。

 これを園芸関連行動にあてはめてみると次のようになる。

 例えば、「苗に水をやる」という行動は、その部分だけに目を向ければ、
  • 水をやる(行動する)→苗は枯れない(やがて苗が育つ)
  • 水をやらない(行動しない)→苗は枯れる
という、好子出現もしくは好子消失阻止の随伴性によって強化されている考えられてきた。もう少し厳密に言うと、「水をやると、やがて苗が育つ」というのは好子出現だが、水をやった直後にニョッキリと苗が伸びるわけではないからこれは強化モドキ。「水やり」という行動は、そういう強化モドキよりも、実際には「水をやらないと苗が枯れる」という好子消失阻止の随伴性で強化されていると考えた方が妥当である。

 もしこの「好子消失阻止」という回避の随伴性だけで水やりを続けているのであれば、これは全くの義務的な行動であり、あまり楽しくない行動ということになってしまう。




 しかし、この「水やり」という行動は、「苗を育てる」という長期的視点から見れば、園芸関連活動の1つのパーツを構成していると見なすこともできる。「苗を育てる」という行動は最終的には、開花や収穫といった大きな成果によって強化されるので、形式上は「好子出現の随伴性」で強化されていることになる(もっとも、それはずっと後のことなので、やはり「強化モドキ」)。

 ここで重要なのは、直接効果的な強化随伴性と強化モドキを区別することではない。とにかく、長期的・総合的にみて「好子出現の随伴性」という形式を整えている行動があった場合、そのパーツを構成する種々の準備行動は、たとえ嫌悪的統制(回避の随伴性)を伴ったとしても、必ずしも義務的になるとは言えず、むしろ、そのような形で自分の行動を律していくことのほうが、より質の高い生きがいを獲得できるのではないかということを言いたいのである。

 園芸関連活動に話題を絞ると、ある人にとって園芸活動が生きがいになるかどうかは、園芸活動がどのように強化されているのかというだけでなく、その園芸活動が生活全般の行動の中でどういう位置をしめ、他の生活行動をどのように関連しているのか。によって規定されるのではないかということである。このあたりのことは、ダイバージョナルセラピー研修会に関連して、4月21日の日記や、その翌日の日記で考察したところである。問題は、これをどういう形で研究のレールに載せていくのかということだ。

 次回に続く。