じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 龍ノ口グリーンシャワー公園の山に登ってきた。今年は、体脂肪と悪玉コレステロールの削減のため年間50回の登山を目標としているが、これで通算9回目(うち、龍ノ口山は8回目)となった。この日は、この春初めてウグイスの鳴き声を聞いた。

 写真左は、グリーンシャワー公園入口のアメリカフウ(一部は、フウ)の並木。写真右は昨年11月18日に、ほぼ同じ場所から紅葉を撮ったもの。いまの時期は葉が落ちていて、龍ノ口八幡宮の山を眺めることができた。



3月8日(土)

【思ったこと】
_80308(土)[心理]「しなければならないことをする」と「したいことをする」(4)

 他の連載記事を書いていたため1カ月以上の無沙汰となってしまったが、2月6日に引き続いて、この問題を考えてみることにしたい。

 さて、すでに述べたように、行動随伴性の枠組みで「したい」と「しなければならない」を区別するということは、次の2点において特に重要である。

 まず第一に、「したい」、「しなければならない」という区別が、行動自体の性質としてではなく、その行動がどのような随伴性によって強化されているによって区別されている点である。例えば、「勉強したい」のか「勉強しなければならないからする」のかの違いは、勉強という行動の性質に依存するのではない。勉強という行動がどのような行動随伴性によって強化されているのかが違いをもたらしている。

 第二に、当事者本人の主観的な気持ちや感情がそれらを決めているのではないという点である。いくら当事者が「したいからしているのだ」と言い張っても、その行動が罰からの逃避や回避の随伴性によって強化されていることが客観的に実証された場合には、その行動は「しなければならないからしている」と判定されることになる。もっとも、後述するように、種々の行動は、複数種類の行動随伴性で複合的に強化されている場合が多い。傍目には「しなければならないからしている」ように見えても、当事者が独自に正の強化の随伴性を付加しているという場合はありうる。どのようなケースで当事者が「したい」と感じるのか、どのようなケースでは「しなければならない」と感じるかどうかということは、別の次元で検討されなければならない課題であって、アプリオリに断定されるものではない。

 「したい」、「しなければならない」の区別を「気持ちの持ちようだ」と受け止めている限りにおいては、「しなければならない」という義務的な状態を「したい」状態に変えることは容易ではない。いっぽう、1月23日の日記に述べたように、これらを行動随伴性によって区別すれば、
  • どういう場合に「したいこと」、どういう場合に「しなければならないこと」になるのか
  • 「したいこと」がどうして「しなければならないこと」に変化してしまうのか
  • 「しなければならないこと」はどうすれば「したいこと」に変えられるのか
といった問題について、具体的で実効性のある回答を見出せる可能性がある。




 もっとも、そのためには、行動随伴性の概念的な枠組み、行動指標、操作可能性などの問題について、さらにつっこんだ検討を行う必要がある。

 特に重要な点は、ある行動が生じている時に、それが、「好子出現の随伴性」によって強化され持続しているのか、それとも「好子消失阻止の随伴性」によって強化されて持続しているのかを区別できるのだろうかという問題である。

 例えば、「労働し、給料を貰う」というのは、「労働」という行動に「給料」という好子が伴うことによる「好子出現随伴性」による正の強化であると考えられる。しかしスキナーが1979年の講演で
Industrial incentives are really punitive. We think of a weekly wage as a kind of reward, but it does not work that way. It establishes a standard of living from which a worker can be cut off by being discharged. Workers do not work on Monday morning because of the pay they will receive at the end of the week; they work because a supervisor will discharge them if they do not. Under most incentive systems, workers do not work for things but to avoid losing them. 【99頁】
企業において仕事を駆り立ててているのも実は罰的なものです。賃金は報酬の一種と考えられていますが、実際はそうではありません。賃金労働者は週給で生活していますが、解雇されれば生計はたちません。月曜日の朝働くのは週末に支払らわれる賃金のためではなく、働かなければ解雇されるからなのです。ほとんどの組織のもとでは、労働者は何かのために働くのではなく、何かを失なうのを避けるために働くのです。
と指摘したように、給料が低額でギリギリの生活をしている人たちにとっては、「働いて、その結果として給料を得る」のではなく「働かないと給料が貰えなくなる」という「好子消失阻止の随伴性」が労働を強いていると考えることができる。

 さて、ここで問題となるのは、「好子出現の随伴性」による強化と、「好子消失阻止の随伴性」による強化をどう区別できるかという点である。

 行動分析学では、行動の頻度や継続時間が重要な客観指標であるが、上記の場合、「労働」という行動自体は区別することができない。また、好子(強化子)も、ここではお金であって、区別することができない。どうすれば区別可能なのだろうか。

 次回に続く。