じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 耐震補強工事に関連して外壁タイルが剥がされた岡大図書館。写真下は工事開始直前の12月21日撮影。


2月6日(火)

【ちょっと思ったこと】

目がショボショボになる

 採点・成績評価と卒論査読に追われる毎日が続いている。5日と6日の2日間かけて、教養科目の答案の採点をほぼ終了。論述式であったため、丸々2日かかった。多少気になったのは「講義」を「講議」と書き間違えている答案がけっこう多かったこと。ま、「コウギ」は「講議」だったという話題もあるくらいだから、そのことを知った上で意図的に「講議」としているのであれば、結構なことだとは思うが。

 卒論査読のほうは1日3冊程度。じっくり読み、試問用のメモファイルにコメントを記入した上で他の教員にまわしているが、ちょっと怠けると、他の先生から別の卒論が回されてくるので大変。全般的には力作が多いが、中には、えっ?と思われるような「省エネタイプ」も見られる。卒論研究以外に多大な時間を割いていたことの表れでもあり、いちがいに責めるわけにもいかないが。

【思ったこと】
_80206(水)[心理]「しなければならないことをする」と「したいことをする」(3)

 1月30日の日記の続き。この連載の目的の1つは、このテーマを高齢者福祉に結びつけることにある。

 逃避随伴性や阻止随伴性がもたらす「しなければならないことをする」は、若者にとっては、長期的に見てより大きな好子(コウシ)をもたらす可能性を含んでおり、いちがいに悪いこととは言えない。例えば、入試に合格するための受験勉強は「しなければならない」行動であるが、その行動を増やすことは、将来的に「入学」という大きな好子をもたらす()。資格取得や公務員試験のための勉強も同様である。しかし、高齢者の場合、「しなければならない行動」ばかりに専念しても、将来的に大きな好子が伴うという保証はない。その途上で健康を害して、命を落とすということもあるわけだ。
]この場合、「合格」という結果を手にすることが好子になるわけではない。入学により新たな行動機会が与えられ、そこで、大学で勉学に励むことがさまざまな形で強化されるからこそ好子になりうるのである。

 個人に関わる随伴性に限って言えば、20年後、30年後の「大きな好子」を想定することは、見通しがあるとは言えない。いくら努力のプロセスに意味があるからといって、無展望な努力が強化されていくとは考えにくい。

 長期的に見れば「嫌子出現」や「好子消失」につながるような行動であっても、高齢者なら構わないというケースもあるのではないかと思う。例えば、よく、脂っこいモノばかり食べると生活習慣病になると言われるが、80歳や90歳のお年寄りがそれを食べたからといって(←お年寄りがそういうものを好むかどうかは別として)、20年後の生活習慣病を気にする必要はない。

 「歩く」という行動の場合も、それが当人の「したいことをする」範疇で散歩しているならよいが、転倒予防や健康保持という目的のためだけで無理をして歩くというのは問題であろう。

 もっとも、関心空間をもっと広げたり、死後の世界を想定した場合には、多少、話は変わってくる。子孫の繁栄や世界平和、地球環境保護のために努力している人にとっては、目的達成に至る努力のプロセスそれ自体が強化されており、自身の貢献が確証できれば、最終的な達成に至らなくても身を粉にして頑張るはずである。また、死後に天国に行きたいとか、生まれ変わってからよい暮らしをしたいと思っている人は、現世で、最後まで「しなければならない」行動に従事するだろう。

 ただ、そうは言っても、すべてのお年寄りに、人類のためにもっと尽くしてほしいとか、死後のために祈れ、といったことを勧めるわけにはいかない。そこまで使命感に燃えなくても、楽しい老後は実現できるのではないか、そのためには、どうやって「したいことをする」を保証していくのかが問題になってくる。

 次回に続く。