じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 チベットで見かけたゴミ投棄風景。写真左はセラ寺(色拉寺、ラサ)近くの住宅地。写真右はサムエ寺(ツェタン)境内。


1月10日(木)

【思ったこと】
_80110(木)[旅行]冬のチベット(6)チベットのゴミとレジ袋対策

 過去の海外旅行先の中でチベットは私の最も好きなエリアではあるが、そんななかで顔をしかめたくなるのが、ゴミの投棄と、トイレの不備である。

 上の写真にもあるように、住宅地近くの空き地や、時にはお寺の境内にもゴミが散乱している。上の写真右側は、1月4日の楽天版ブログに掲載したサムエ寺境内で撮ったものである。サムエ寺はお寺全体が立体曼荼羅の配置になっていることで知られているが、その「曼荼羅」エリア内でもゴミが投棄されているのだからガッカリしてしまう。

 トイレについては、これまでも何度か書いたことがあるが、一般的なスタイルはこんな感じ(アルバム・インデックスはこちら)であって、ドアはついていない。このスタイルは、ポタラ宮の公衆トイレでも、道路沿いのガソリンスタンドのトイレでも大差ない。




 さて、このうちのゴミ投棄であるが、ゴミの多くは石油製品であり、カラフルなレジ袋が特に目立つ。生ゴミはいずれ循環するが、石油製品はいつまで経っても土に戻らない。捨てる量は少なくても石油製品ゴミだけが年々蓄積されてしまうのであろう。

 このことに関して、ちょうど1月10日付けの各種報道で、中国では、破れやすく使い捨てにされている厚さの薄いレジ袋の生産や使用がことし6月から禁止されることになったという話を聞いた。厚さのあるレジ袋を提供する場合でも無料で配ることを禁止し、有料になる模様である。

 NHKオンライン記事でも伝えられていたが、中国では、市場やスーパーなどで1回の使用ですぐに破れるような厚さが非常に薄いレジ袋が広く普及している。じっさい、今回の旅行でも、お寺でお坊さんから「お守り」を買った時にも薄いポリ袋に入れて手渡され、違和感を覚えたことがあった。

 日本のスーパーなどで渡されるレジ袋はかなり丈夫にできていて、旅行の際の洗濯物入れや、各種小物入れにも再利用できるのだが、上記の「薄いレジ袋」は、持ち帰る途中でも簡単に破れてしまう。NHKオンライン記事によれば、こうしたレジ袋が路上に捨てられて環境問題となっており、「白色汚染」などとも呼ばれているという。伝えられるような形で、薄いレジ袋の生産が中止され、かつ、厚いレジ袋が有料化することになれば、↑の写真にあるようなゴミ投棄はかなり改善するものと思われる。




 現代社会のモラルとは根本的に異なり、もともとチベットでは、大地にゴミをばらまくということは、必ずしも悪いことであるとは考えられていなかったようにも思われる。石油製品や金属製品が普及する以前においては、すべてのゴミは土に戻すことが可能であった。つまり、ゴミは「捨てる」というよりも、大地に返すという感覚であったに違いない。そういう中で長い間続けられてきた循環型の生活慣習が、石油製品の登場によって環境問題を引き起こすことになった。

 現代の日本では、道端にゴミをポイ捨てすることはモラルに反する悪いことだとされているが、見方を変えれば、悪いのは「捨てる行為」自体ではなく、捨てられる物が土に帰らない石油製品にあると言えないこともない。山道で拾った葉っぱや木の実を再びポイ捨てしても誰も咎めることはない(←厳密に言えば、木の実を別の場所に捨てると植生を変えるという影響が出てしまうが)。食べ物をポイ捨てするのが悪いのは、それが一時的にハエなどの有害昆虫を増やしたり、野生動物の生態に影響を及ぼすからであって、これはこれで、石油製品をポイ捨てする場合とは、なぜ悪いのかという理由の中味が異なっている。とにかく、すべてが土に帰るゴミであって、短期的にも長期的にも、また衛生的にも環境に負荷を与えるものでなければ、ゴミの投棄は一概には悪いとは言えないかもしれない。




 冒頭に述べたもう1つの話題、トイレについても同じことが言えるだろう。チベットの公衆トイレは、穴を掘っただけの簡素なもので、日本人の衛生感覚から言えばかなり「汚い」。しかし、冬期にはマイナス10度から20度にもなるような地域では水洗トイレの設置は困難であり、水洗のための給水や汚水処理を維持しようとすれば地球温暖化に多大な悪影響を与えることになる。また、少なくとも冬期はハエは発生しないし、食べ物は熱を通しているということを考えると、日本人が考えるほどには衛生環境が悪いとは言えないかもしれない。