じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
 7月19日の日記に「お伽の国のキノコの家?」の写真を掲載したが、このあたりは、なぜか穴あきキノコが多い。穴開け犯人はナメクジ、カタツムリ類ではないかと思われるが確認できていない。
写真は、7月25日に新たに出現したキノコの3日間の変化。穴があいていてもちゃんと傘は開く。「キノコの家」というより頭蓋骨の一部のように見えてきた。


7月27日(金)

【思ったこと】
_70727(金)[心理]卒論研究中間発表(2)

 7月25日の日記の続き。前回は主として高齢者をテーマにした研究を取り上げたので、今回はそれ以外を扱う。




 まず、在日留学生と日本人学生の友人関係をテーマにした研究があった。ソーシャル・スキルやサポートに関して双方の認識のズレが小さければより満足度の高い友人関係が形成されるのではないか、また、認識の一致度が高いことが対人関係に肯定的影響を与えるのではないかというような仮説のもとに研究が進められていたようであった。

 この種の研究でしばしば指摘されることであるが、一口に留学生と言っても、研究や技術習得を目的とした留学生も居れば、日本文化を知ったり日本人との交流に重きを置いている学生もいる。前者の場合は、指導教員や共同研究者とのコミュニケーションがとれれば留学の目的は達成されるわけで、日本人学生との交流はかえって時間の無駄になるという場合もある。後者の場合はおそらく仮説どおりの結果になると思うが、因果関係があってそうなるのか、「満足度の高い友人関係」ということと「認識の一致度が高い」というのは同じことを意味しているにすぎないのか、検討が必要であるように思った。




 次に「かわいい」と「美人」のステレオタイプをめぐる研究があった。両者の違いは、なかなか興味深いものであったが、単に言葉の現代的意味を比較するというのでは、心理学の研究としてはイマイチ物足りないところがある。「かわいい」という言葉はどういう文脈の中で使われ、相手や周囲にどのような効果を及ぼすのか、といった行動分析学的視点も必要であろうと思う。

 余談だが、私は昔から「美人」という概念を持っていない。実在の女性について「この人は美人だ」と思ったことは皆無であると言ってよいかと思う。「かわいい」という概念はあるが、「このわんこは可愛い」、「このにゃんこはかわいい」というように、主として、動物との関係において使う。




 もう1つ、錯視における遠近法説の妥当性を検討するという研究があった。ミュラー・リヤー錯視については私が学生だった30年以上前からすでにいろいろな説が唱えられているが、私の理解では、どの説が正しくどの説は間違っているというよりも、いくつかの要因が加算されて(時には減算される場合もあるが)、より大きな錯視が生じたり、殆ど錯視が無かったりという結果になっているように思う。量的予測(錯視の大きさを予測するような関数)の精度を上げるような研究のほうが生産的であるように思う。

 このほか、私のゼミの学生を含めて、多数の発表があったが、今回は割愛させていただく。次回の直前発表会(締切の1カ月ほど前に開催)における進展に期待したい。