じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
 大学構内に出現した穴あきキノコ。お伽の国のキノコの家、というか、児童公園にありがちな遊具のようにも見える。なお、このキノコは、オオシロカラカサタケであると思われる。  



7月19日(木)

【思ったこと】
_70719(木)[心理]河合隼雄先生ご逝去

 河合隼雄先生が7月19日14時27分、脳梗塞のため、奈良県天理市内の病院で亡くなられたという。79歳。

 ウィキペディアの当該項目に記されているように、河合先生は1952年に京大・理学部を卒業、数学の高校教諭となるが、その後、留学され、ユング研究所で日本人として初めてユング派分析家の資格を得た。1972年から1992年まで京都大学教育学部HP・教育学研究科で教鞭をとられ、また定年退官後の2002年からは第16代文化庁長官をつとめられた。

 私自身は河合先生が京大に来られた頃に学部生、大学院生だったこともあり、学部は異なっていたが、ご赴任当初の臨床心理学の講義やいくつかの演習科目を聴講させていただく機会にめぐまれた。

 もっとも、もともと理系であった私は、エビデンスに基づく自然科学的な発想で物事を捉える傾向が強く、結局、河合先生のお話についていくことはできなかった。学部時代に心理学専攻を選んだ理由の1つは、心理テストや臨床心理学への興味にあったのだが、河合先生のお話への疑問が増幅することで、逆に、実験心理学的方法に基づく研究や徹底的行動主義に傾倒するようになったとも言える。今では私は、実験心理学万能主義にはむしろ懐疑的な立場を表明しているが、心理主義や「こころ主義」には相変わらず頑固一徹、反対の立場を貫いている。そういう意味では、私自身に大きな影響を与えてくださったと言えるかと思う。




 いつだったか、河合先生は、理学部数学科に入学された当初のガイダンスか何かの時に

数学という学問は、10年に1人、天才が出ればそれでもつ。ちょっと前に1人、天才が出ているので諸君には期待していない。

と言われた、と話しておられたことがあった(←文言は長谷川の記憶によるため、きわめて不確か)。昨今の大学教育改革、FD活動が定着している現在では、いくら京大でも、新入生に対してそんな荒っぽいガイダンスは行われていないと思うが、ま、当時は、どこの学部の教員も研究第一主義で、学生の面倒なんか見ていられるか、ついてくるなら教えてやってもいいが、そうでないなら履修登録に名前を書くだけで単位くれてやるからさっさと卒業しろ、という風潮が強かったように思う。しかしそういう中でも、それなりに研究者は育ってきた。最近では京大でもずいぶん熱心にFDに取り組んでいるようだが(こちらに直近の参加報告あり)、京大でヘタにFDなんぞに取り組むと、せっかくの「自由な学風」が損なわれて、ユニークな研究者が育たなくなってしまう恐れがあるのではないかという気もする。




 河合隼雄先生のご一家は、天才家系としても知られている。お兄様にあたる河合雅雄先生の御講演も何度か拝聴したことがあった(例えばこちら私はなぜか、略奪婚のオスザルと見なされている)。河合隼雄先生が岡大に集中講義に来られた時に、ご兄弟で同じテーマを語り合うという特別シンポジウムなどいかがでしょうか、とオススメしたことがあったが、隼雄先生はあまり乗り気ではなかった。その後そういう機会が実現したのかどうかは、私自信はお聞きしていない。

 ということで、主として個人的な関わりを回想させていただいた。謹んでご冥福をお祈りします。