じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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10月14日(土)

【思ったこと】
_01014(土)[心理]園芸療法・園芸福祉を考える(3)人間・植物関係学会設立準備会発足記念講演会
[Image]  東京・日本青年館で開かれた「人間・植物関係学会(仮称)設立準備会発足記念講演会」に参加した。

 設立が計画されている学会は、
人間・植物関係というキーワードのもとに、既存の分野における研究成果を収集、統合、分析し、心身の健康を含めた生活の質の向上、教育・文化の発展、快適環境の創造に向けて、お互いに刺激しあいながら、新しい分野を創造・開拓し、発展させるとともに、その成果を人間生活に活用する、学際領域の「るつぼ」として機能することを目指します。
というもの。九大大学院の松尾英輔・教授が代表、発起人には、今回の基調講演者である河合雅雄先生(写真左)、ダイアン・レルフ先生(写真右)のほか、天声人語を執筆しておられた朝日新聞論説委員、園芸療法の専門家など著名な方が名を連ねていた。

 基調講演ではまず、霊長類学の権威の河合雅雄先生が、「人はなぜ自然を求めるのか、人と自然の真の共生とは」というタイトルで1時間近くにわたりお話をされた。

 そこではまず、人間はなぜ緑を求めるのかという問題が提起され、ほ乳類の中でも霊長類目だけが樹上で暮らし樹上で寝るようになったこと、それにより三次元的な生活環境に置かれたこと、他のほ乳類がもっぱら嗅覚を頼りにしているのに対して、サルは視覚にすぐれ、緑色の知覚ができるようになっていることを強調された。

 次に、植物と動物との共進化ついて、いくつかの事例をもとに説明された。新生代に入って被子植物が裸子植物を圧倒した背景にはこの共進化がある。ミツバチとレンゲの関係、モーリシャスにはドゥドゥの消化器を通らないと発芽しない植物がありドゥドゥが絶滅後は繁殖ができなくなってしまったという話、ドリアンがマレーグマやイノシシを集めるためにあえて臭いにおいを出す話など。

 3番目は、「共生」の意味について。ふつう「共生」というのは相利共生のことを言うが、一方だけが得をする「片利共生」(へんり共生、花粉をこすりつける蘭、樹上に巣を作る鳥など)、さらには「片利有害共生」(寄生虫など)というのがある。牧畜以後の人間と植物の関係はもっぱら「片利有害共生」になっているが、人間には文化を創造する力があり、文化的共進化こそが求められているというのが結論であった。

 ところで河合先生が某研究所の所長をされていていた頃、施設拡充に伴って技官ポストが1つ増設されたことがあった。その時に採用された女性技官はその後、たまたまそこに押し掛けていた無職の某共同利用研究員と結婚し、その某共同利用研究員が長崎大に就職した時に退職してしまった。ちょうど定削に引っかかったため後任が採用されず、いろいろと迷惑をかけたようだ。懇親会会場に向かう途上、その時の話を河合先生にお話ししたら、「そういうのは略奪婚というんや」と言われてしまった。世の中にはけしからん共同利用研究員も居たものである。

 後半のレルフ先生のお話は先日広島で行われた講演(9/27の日記参照)と同じ内容であったが、2回目ということもありそのロジックがよく理解できた。懇親会の時、レルフ先生には「若者にも人気の盆栽ブーム」のこと(9/2の日記参照)、うちの息子や娘が園芸にはなかなか興味を示さないことなどのお話をした。今回は旦那さんも同伴されており、多少ヒマそうにしておられたので、ヘタな日本英語でいろいろとお話させていただいた。レルフ先生から「彼はconstructorだ」と言われていたのでそう思って話をしていたが、貰ったネームカードを後で見たら「contractor」になっていたが、どっちにしても建築・造園関係のお仕事をされていることには変わりなく食い違いは無かったのが幸い。秋の紅葉を待たず、15日には帰米されるという。
【ちょっと思ったこと】

大将軍のたたり

 10/14日昼のフジTV系番組「ウォ!チャ!現場にダッシュ!」によれば、山形市では「大将軍のたたり」を恐れて下水道の引き込み工事が滞っているとか。大将軍(現地では「たいしょうぐん」と読む)というのは陰陽道に出てくる神様で、3年ごとに方角を変えて各戸別に鎮座?する。それぞれの家の敷地内でその方角の地面を掘ったり植木の手入れをするとたたりがあるという言い伝えがあり、平成10年〜12年は、家の北側の下水道工事を控えている家庭があるとか。

 話題性をねらった番組なので現実に工事がどのていど滞っているのか今ひとつはっきりしないところがあるが、なぜ山形だけでそういう言い伝えが定着したのか、まことに興味深い。3年間、特定の方角の土地に手をつけないということには、不便さを越える何らかのメリットもあったはずだ。一般に考えられるのは連作障害の回避。自然との共生にも貢献していたかもしれない。

 たたりとして伝えられているのは「禁をやぶった家で、お年寄りが立て続けてに風邪をこじらせて亡くなった」というようなものであり、これ自体は、禁をやぶらなかった家との比較がないので非科学的な迷信であることは確かだ。もっとも、あることを急いでやっても急がなくてもどっちでもよいような場合(=今回の下水道引き込み工事のような場合)、多少なりとも気になることがあるなら不安が無くなるまで先延ばしをしようというのが人情というもの。山形市民に迷信を信じる人が多いということでは決してなさそうだ。
【スクラップブック】