じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 気象庁は14日、中国地方が梅雨入りしたとみられると発表したが、雨が降ったのは15日未明までであり、16日朝は写真の通り、しっかりと晴れ上がった。この先の一週間の天気予報も、日曜日夕刻から雨マークがついている程度で、梅雨らしくない天気が続きそう。


6月15日(金)

【思ったこと】
_70615(金)[心理]2007日本ダイバージョナルセラピー協会・特別講演会(1)

 6月9日(土)に大阪で行われた表記の講演会のメモ・感想。それにしても、この講演会が行われたのは先週の土曜日。あっと言う間に一週間が過ぎてしまった。なんだかなあ、こんなふうにして、忙しくしているうちに、気がついたら定年、そして定年後の夢など果たせないうちに高齢者福祉施設で暮らすことになっているのかもしれない。

 講演会ではまず、当協会理事長の芹澤隆子氏から

●日豪ダイバージョナルセラピー最新情報

というお話があった。

 芹澤氏はまず、日豪の福祉施策を比較し、歴史的には日本の福祉施策のほうが遙かに古く、すでに律令の「鰥寡条(かんかじょう)」において鰥寡(かんか)、孤独(こどく)、貧窮(びんぐ)、老疾(ろうしち)の範囲に属する者で、かつ自分では暮せない人を、要援護対象者の対象としていたことを指摘された。後日ネットで検索したところ、

障害者福祉法制の史的展開・1:律令における障害者福祉法制というサイトにに詳しい解説があり、それによれば、
...【略】
 鰥とは61歳以上で妻のいない者、寡とは50歳以上で夫のいない者、孤は16歳以下で父のない者、独は61歳以上で子のない者、貧窮は財貨に困窮している者、老は61歳以上の者、疾は傷病・障害のある者を指し、律令制度下では、要援護ないし要救済対象の客観的属性は、この範囲とされた。  そして援護の実施責任は、まず近親者による私的扶養であり、それが不可能の場合は地方行政に委ねるとするものであった。
...【以下略】
ということである。

 いっぽうのオーストラリアは、豪州連邦が成立したのが1901年であって、ほんの100年足らずに過ぎない。にも関わらず、高齢者福祉政策は日本より進んでおり、1985年には連邦の介護認定、1997年にはAged Care省(←オーストラリアの発音では「アイジト・カー」のように聞こえる)が創設されている。

 芹澤氏によれば、「老い」についての一般的な考え方は、オーストラリアと日本ではかなり異なっており、その代表的な違いとしては
  • オーストラリア:「老いることは楽しむこと」、日本:「老いて三界に家なし」
  • オーストラリア:「施設入居者の権利憲章」、「スタンダード」を規定、日本は健康25条で「最低限」を規定。
  • オーストラリア:「死の受容」を重視、日本「長寿信仰」
  • オーストラリア:「自由のためにはリスク受容」、日本「自由捨ててもリスクを避ける」
などがある。ま、すべての人たちがそうであるというわけでは無かろうが、これらの違いが各種の施策にも影響を及ぼしていることは間違いない。




 日豪では年金にも大きな違いがある。いま日本では年金記録の不明問題が注目を浴びているが、その一因は、積み立て方式(積み立てた額に応じて年金を受け取る)にもあるようだ。また年金額には、「少ない人は、最後まで少ない」という特徴がある。

 いっぽうオーストラリアでは、財源はすべて基礎税でまかなわれ、65歳時の資産調査により、資産が少ない人ほど多額の年金が支払われる仕組みになっているという。日本では「年金をもらっていない」というと、ワーキングプア:働き続ける高齢者が連想されてしまうが、オーストラリアで「年金をもらっていない」というのは資産家を意味するという。

 このほか、日本では401Kが進まない現状にあるのに対して、オーストラリアではオーストラリア型の401Kが定着しており、要するに「老後はみんなでほどほどに幸せに」が基本になっている。

 次回に続く。