じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]

 宇野に向けて高松の港を出港。横浜のみなとみらいほどの規模ではないが、高松は、しっかりと整備された、住み心地の良さそうな町であった。



5月27日(日)

【思ったこと】
_70527(日)[教育]第55回中国・四国地区大学教育研究会(番外編)高松は思い出と初体験が交錯する町であった

 表記の研究会参加のため1泊2日の日程で高松市を訪れた。四国には車で何度も訪れているが、高松市内は30数年ぶり。JR瀬戸大橋線を利用したのは初めてであった。以下、は初体験、は思い出となる出来事を示す。
  •  高松は、今から30数年前の学部学生の頃、実験動物を運ぶ手伝いという名目で、一度訪れたことがあった。訪問先は、今回と全く同じ、香川大学教育学部であった。その時お世話になった先生はだいぶ前に亡くなられている。
  •  岡山から四国方面は、いつも車で瀬戸大橋を渡っており、JR本四備讃線(瀬戸大橋線)のマリンライナーに乗車したのは、なんとこれが生まれて初めてであった。窓から下の方に海が見えるという点では迫力があるが、橋脚に邪魔されて眺めはイマイチであった。もっとも、岡山から高松までは片道ほぼ1時間、運賃は1470円であり、所要時間から言えば県北の津山より近い。瀬戸大橋通行料金が高いこともあって、四国には滅多に出かけていないが、鉄道利用なら気軽に出かけられる範囲にあることに気づいた。
  •  香川大に行ってまず驚いたのは百日咳流行による全学臨時休業措置であった。キャンパスが離れた医学部(旧・香川医大キャンパス)で休講になったという話は事前に聞いていたが、全学休業というのは到着してから知った。全国的には、はしか(麻疹)が猛威をふるっているようだが、うーむ、なんで、ここは百日咳なんだろうか。ちなみに、構内の掲示によれば、「今回流行している百日咳は三種混合ワクチンが効かないタイプ」だという。私のように自然免疫がある場合でも効かないのだろうか??
  •  高松の食べ物と言えば、まずは、うどんである。26日は、昼も夜もうどんを食べた。気づいた点としては、
    • 1玉の量が少なく、大盛とするかおにぎりや天ぷらと一緒に食べないと腹を満たすことができない。うどん目当ての人は、たぶん、何軒か、はしごしているのだろう。
    • うどんだけならば一杯200〜300円。大学の生協食堂より安い。
    • うどんマップに載っているお店は昼食向けが多く、大半は18時半か19時に店を閉めてしまう。夕食もうどんで、という場合は、少し早めに入店する必要がある。
  •  27日の会議は9時から開始ということだったので、駅地下でレンタサイクルを借りて、栗林公園まで行ってきた。園内に居られたのは8時頃から8時半頃までの実質30分であった。あとで知ったのだが、いまの時期、ここは5時半に開園となっている。前日から自転車を借りておいて、ホテルの朝風呂など浴びず、朝一番に出かければよかったと悔やまれる。
  •  2日目にどうやって岡山に戻るか迷ったが、思い切って、四国フェリーで宇野に渡ることにした。宇野と高松の間は、大学1年の頃、宇高連絡船で往復したことがあったが、いずれも深夜であり、海の景色を眺めるのは今回が初めてであった。フェリーの所要時間は約1時間。しかし、JR宇野線のほうが1時間の1本で40分待ち。けっきょく、バスを利用することになった。連絡の時刻をちゃんと調べておけば、こちらのほうが安上がりで風情がある。
  •  宇野港では、宇野〜豊島〜小豆島のフェリーが入港してくるのが見えた。豊島のことは1999年7月11日の日記に書いたことがあるが、家族で訪れた海水浴場としては最も思い出に残る場所である。別段、絶景というわけでもなく、泳ぎやすい海岸というわけでもないが、あのころは、父親として私なりに家族サービス頑張っていた時期でもあり、ここが一番なつかしい。いつか、再びあの船に乗って、この海岸で昼寝をしてみたいものだ。目が覚めたら、横に、妻や小さな子どもたちが寝ていて、実はあれから10数年はすべて夢の中の出来事、現実は振り出しに戻っていた、なんていうことにはなるまいなあ。


 ということで、思い出と初体験が交錯した2日間であった。