じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



1月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真]
露地植えのヒヤシンス。ちょうどセンター試験が終了したところであるが、受験生たちもこの花芽のようにしっかりした花を咲かせてもらいたいものだ。


1月21日(日)

【ちょっと思ったこと】

英語リスニングテストのマイナス報道/リスニングテストは必要かという議論

 昨日の日記に引き続き、大学入試センター・英語リスニングテストの話題。昨日の日記の趣旨は、
この種の大型プロジェクトが実施された時、新聞やテレビは、トラブルがあった部分だけを過大に取り上げて正義の味方よろしく責任を追及するが、もっとポジティブな面にも目を向けるべきである。でなければ99.923%の成功(21日報道時点)の努力が報われず、誇りを持てなくなる。
ということであった。

 その後に判明したトラブルとしては
  1. 成蹊大(東京)と三重大の会場でそれぞれ1人、監督者の指示が適切でなかったため再開テストを受けられなかった。
  2. 九州大(福岡市)の会場では急病のため1人、鹿児島大の会場では試験中に携帯電話からと見られる音が約1分間漏れ、「気が散った」と申し立てた4人に再試験が認められた。
  3. 滋賀大の会場では監督者がリスニングの試験時間を規定より約1分早く終わらせたため、この教室で受けた43人から要望があれば再試験を認めるという。
  4. 名古屋市立大では1教室で5人が機器交換を申し出て、教室全体の試験開始を5分繰り下げた。
  5. 新潟県内の会場では1人の受験生が3回機器の不具合を訴え、計4回受験した。
があったそうだ。記事を読んだ限りでは、少なくとも1.から3.は、いずれもICプレーヤーの不具合ではなく、ヒューマンエラーに起因するものと言えよう。また4.はマニュアル通りの対応であって、トラブルとは言えない。リスニングテストに限っては、プレーヤーの配付等で手間取った場合は、5分単位でずらして実施すると定められており、これは正規のやり方である。

 最後の5.のトラブルだが、これはいったいどうしたことだろう? 1台のICプレーヤーの不具合が起こる確率を1/1000であると見積もると、続けて3回不具合になる確率は10億分の1となるが、これはちょっと考えにくい。1回目の不具合で受験生が大パニックを起こし、ICプレーヤーが正常に作動していたにもかかわらず不具合であると勘違いしたのか、機器操作自体に恐怖を感じてしまったのかは不明だが、とにかく、何が原因で4回も受験することになったのか、監督側の対応に問題は無かったのか、事故原因をちゃんと知らせてほしいところだ。

 なお、私自身は、リスニングテストのトラブルを限りなくゼロに近づけるための努力については、技術水準の高さを統制のとれた組織力両面において大いに評価すべきだと考えているが、そもそもリスニングテストが必要かどうかという議論に関しては、不要論を唱えてきた(昨年1月21日の日記参照)。

 今回の音声問題がこちらに公開されていたので試しにやってみたが、問題自体は別段、ケチをつけるような内容やレベルではない。私が疑問に思うのは、こういう問題を、スクリプトで出題した場合と、音声で出題した場合で、正答率にどれだけ差があるのだろう?という点にある。

 例えば、Question No.2は、男性のお客が

●Can you show me that tie with circles under the stripes?

というように店員に頼んでおり、こちらに図示された4つのネクタイのうちどれかということが問われている。

 この問題に答えられるためには、「tie」、「circles」、「stripes」の意味と、「under」という位置関係を理解できる必要があるが、それらの意味を知らない受験生は、いくら鮮明な音声を聞いても答えられないはず。では、これらの意味を知っていて、音声では聞き取りができなかったという受験生がどれだけ居るのだろうか。もし、リスニングテスト成績が、単語力や文法理解力と100%の相関があるとしたなら、わざわざお金をかけて、また、そのために多くの監督要員をストレスに晒してまでリスニングテストを実施する必要は全く無い。いっぽう、リスニングテストを実施しなければ測れないものが単なる音声識別力であったとすると、そういうことで点数に差をつけることがセンター試験としてふさわしいのかという議論が出てくる。このあたりは大学入試センターでもちゃんと分析しているはずだとは思うが、どうなっているのだろう。

 「リスニング能力が大切だからリスニングテストを実施すべきだ」というのは、テストとはどういうものかを知らない人の主張である。テストというのは何かを測り、それをもって差をつける手段なのである。リスニング能力が大切であるとしても、それが別の物差し(例えば、音声を伴わない文字だけのテスト)で十分に測れるのであればわざわざ実施する必要はない。

1/23追記]

Web日記仲間のKeirohさんからコメントをいただいたので、以下にその一部を転載させていただきます(改行部分等は一部改変)。どうもありがとうございました。
やはり,表面妥当性(と言うまでもなく「英語の音声の試験ですよ,というもっともらしさ」や, 指導への波及効果(と言うまでもなく「リスニングが試験に出るから音声を重視した指導をしなさいよ,という暗黙の指示」)と,そういうところが導入の主な要因かと思っています。

ペーパーテストによる音声的な能力(音素の識別やアクセントの位置)と,実際に話させたり聞かせたりしたときのそれとは完全には一致しないというような結果はいくつか見たことがあります。

まあ,このような結果は当たり前と言えばそうですが,リスニング実施に踏み切るコストに見合う効果があるのかと言われれば,テストという観点からは,あまりないかもしれません。

ただ,「大学入試の英語の問題が訳読だから中高での英語の指導が歪められる」と言われ続けて数十年。
大学の入学志願者選抜試験は高校の卒業試験じゃないのですよ,という主張はなぜか通らないようなので,このあたりに落ち着いたのかなあと思っています。

たとえばペーパーテストでもっともな程度のリスニング能力が測れたとしても,音声で問題を提示したりするテストは「必要」と判断されるのではないかと思ったもので,とりとめもなく書き込んでみました。