じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
廊下に差し込む夕日。建物が東西を向いているので秋分、春分の前後だけ、真西側のバルコニーから夕日が差し込む。春分の日に撮影した写真がこちらにあり。



9月23日(土)

【ちょっと思ったこと】

ゲームショウの疑問

 各種報道によれば、幕張メッセで東京ゲームショウの一般公開が行われているとか。事務局によると9月23日の入場者数は8万4823人(展示会入場者、プレス入場者の合計)で、昨年の6万7791人を2万人近く大幅に上回ったという。

 ゲームといっても、ソフト、機器、遊技形態は多種多様であり、ひとくちにあれこれ言うことはできないが、某TVニュースでは、ゴルフ、ボウリング、テニス、ドライブなどのスポーツ、シミュレーション系のゲームのリアルさが話題を呼んでいると紹介されていた。

 1つ疑問に思ったのは、ボウリングをやりたい人は、なぜボウリング場に足を運ばないのかということ。ボウリング場の隣のゲームセンターでボウリングゲームをやる必然性がどこにあるのか、いまひとつワカランなあ。

 同様に、ドライビングゲームをするくらいならドライブに出かければいいし、ま、ゴルフやテニスだって、その気になれば青空の下で、ホンモノが楽しめるはずだ。

 おそらくあの種のゲームというのは、狭い部屋で気軽にコントローラーを動かしながら、短時間、気軽に遊べるから利用価値があるのではないか。あまりにもリアルでホンモノそっくりというのであれば、ゲームではなくホンモノで楽しんだほうがはるかに健康的であるように思える。

【思ったこと】
_60923(土)[心理]日本教育心理学会第48回総会(7)「個」の重視の影響は「個」の分析で

 日本教育心理学会第48回総会1日目に行われた、

●「学習資本主義」社会と教育改革‐「自ら学ぶ力」の格差問題‐

という特別講演の感想の最終回。




 さて、今回拝聴した講演について、私が理解したことをまとめると、
  • 内外の情勢の変化の中で、学びの大合唱が起こり、「個」を尊重し、自ら学び、選択することが推奨・賞賛されるような社会的なしくみが作られてきた。
  • 教育行政においては、それに見合った形で、個を尊重した学習、生涯学習、生涯現役、自立尊重のための施策が講じられてきた。
  • しかし、そのことに伴って
    • 「投資に見合う人的資本形成」。コミュニケーションスキル、ソフトスキル、問題解決能力、ハイスキルSocietyなど。
    • 個人化に伴って、集団主義的なセーフティネットが弱体化。日本型平等主義との葛藤。
    • 格差問題。学びから降りることで失うものの大きさ。
    などが新たな問題として浮上してきた。
  • 解決すべき論点としては
    • ブラックボックスとしての文化「資本」
    • 環境差を縮める学習の可能性とそのメカニズム
    • 学習を継続する意欲(の持続・再生)と機会の関係
    • 学習資本主義を相対化するメタ認識の形成と個人化。共感、共生との関係
    などがある。
ということになろうかと思う。




 質疑の時間に私からも
教育行政という視点から言えば、ある施策の有効性や弊害を検証し、今後の方向についてより正確な見通しを持ち、最善の策を検討していなかければならないのは当然であろう。しかし、そうは言っても、人間は、文科省の掛け声や号令だけでそんなに変わるものではない。
例えば、大学改革に関する答申はこれまでにもいろいろな形で出され、確かに、それに伴って制度や組織が変わっている。しかし、そのわりには、個々の大学教員はそれほど変わっていないように見える。
というような質問をさせていただいた。

 ここで私が言いたかったのは、決して、「種々の施策により表面的な行動は変えられるが、心の内面はそう簡単に変えることができない」という意味ではなかった。私は基本的に行動論の立場をとっているので、「表面」とか「内面」という区別はしていない。そうではなくて、言いたかったのは、

●ある施策によって行動が変わる人もいるが、全く影響を受けない人もいる。ある施策の効果や弊害を、統計調査の平均値的な変化だけから論じることには限界があるのではないか。

ということであった。

 確かに、ある社会情勢のもとで、「個人の自立」という「周回遅れ」の啓蒙主義がシンクロし、学びの大合唱が起こることはあるかもしれない。しかし、そういう合唱が起ころうと起こるまいと、そのことに関係なく自立を重んじる人たちはいるし、自らの価値観に基づいて生涯学習や生涯現役主義を貫いている人たちも少なくない。けっきょく、平均値の有意差や、全体的な相関の有意性などではなく、もっと個人のレベルで変化の有無や影響を与えた要因をとらえていく必要があるのではないか、というのが私の考えである。




 質疑の時間にはもう1つ、

●施策の評価は、それを実施した時の成果と弊害のほか、それを実施しなかった場合の結果とも比較しなければならない。

というような趣旨の質問も出された(←長谷川の記憶に基づくため、不確か)。

 先の私の質問と合わせて、このことに関してK氏は、

●もちろん、施策や制度が及ぼす影響は個人によって異なる。しかし、もともと5%だったリスクが、ある施策によって10%のリスクに高まる可能性が出たとしたら、やはり問題にしないわけにはいかない。

というようなことを回答された(←長谷川の記憶に基づくため、不確か)。

 このことには、もちろん私も同意できる。しかし、9月20日の日記でも指摘したように、医学的な疫学調査と異なり、社会調査においては、単一要因の効果を同定することはきわめて難しいことも確かである。ある施策が全体として望ましい効果をもたらし、その一方で小規模の弊害をもたらすような場合は、施策全体をマイナス評価するのではなく、小規模の弊害に対して「別途」、対策を講じるということもできるはずだ。




 最後に、K氏が一例として挙げられていたフリーター増加の問題などは、学習資本主義の問題というよりもむしろ、内山節氏が指摘したように(行動分析学会投稿記事参照)
  • 近代的雇用では、労働を開始する前に、偶然と不安に満ちた近代的雇用に、 身をゆだねる必要性が生まれる。
  • 今日の社会では、何が必要で、何が不必要なのかもわからない。労働によっ て生み出される商品が人間の暮らしにとって本当に必要なのかどうかは分 からない。それゆえ、労働をとおして、人間の社会に有用な活動ができる かどうか分からない。
  • 経済活動のなかでは、仕事をするのは誰でもよい。かけがえのない一人の 人間として仕事をしているつもりなのに、経済活動のなかでは、 代替可能 な一個の労働力にすぎないことを知らされる。
といった根本原因が近代的雇用の中にあり、かつ、サービス産業の人件費削減策の一環としてパート雇用が増え、また昨今の少子化の中で「あくせく必死に働かなくても、ある程度、両親のサポートを受けて何とか暮らしていける」という世代が増えたことが、フリーター増加をもたらしていると考えるべきではないかというのが私の考えだ。

ということで、今回の御講演についての感想は終了。次回からは別のシンポの感想を述べることにしたい。